自分と彼女の関係を表すのに一番的確な表現は「幼なじみ」だと思う。
自分が育った「家」に、自分が最年長者になった年、彼女はやってきた。この「家」で最年少に当たるタルジュが連れて来た彼女は、孤児特有のやせ細った体に落ち窪んだ眼窩から爛々と輝くこの世の全てを憎むような目をしていた。
彼女は名前を持っていなかった。必然的に最年長者である自分に名づけ役が回ってきた。この時ほど物を考えたことがあっただろうか。必死になって考え、丁稚奉公先の炎術師寮で様々な本を盗み見ながらも、結局は彼女が今の「家」で唯一の女子であることから、マリカ、と名づけた。
年長者が年少の者を世話するのは当然で、マリカの世話をするのは拾ってきたタルジュ、そして名付け親となった自分が中心であった。マリカの部屋は、マリカが拾われてくる数日前姿を消したニースの部屋が宛がわれた。ニースの私物が少なからず残っていたが、それはそのままマリカのものとなった。マリカはその中で罅の入っている大きな姿見を気に入っていた。
数年が過ぎた。「家」の人数は減ったり増えたりを繰り返し、マリカは少女ながら美しく成長し、タルジュも日々の労働を苦にしない程度に大きくなった。自分も青年の部類となり、丁稚奉公先の炎術師寮で才能を見込まれ、炎術師見習いとして日々の糧を稼いでいた。あまり「家」に帰ることがなくなったのは、炎術師寮の詰め込み部屋に一つねぐらをもらっていたからだ。その為に時々、タルジュやマリカ、その他「家」の子供達が炎術師寮に自分を訪ねてきた。「家」の近況を聞くとともに、給金の大半を「家」に渡していた。そこから生活の扶持を引いて、残った僅かな金で賭博や酒を楽しむ生活。今思えば青年時代の幸せの絶頂だった。
やがてそれも崩れ去る。
「家」がある地域一帯で病が流行った。原因は、生活用水を汲む井戸にあった。そこに誰かが毒を投げ込んだのだ。何故毒が投入されたかわからなかったが、その井戸を利用していた者は例外なく病にかかった。
その病には特効薬はあった、が、抜け目の無いカリュオン商人はここぞとばかりに連帯して特効薬の値段をつり上げた。一人分の価格が自分の給金の半分を超える値段に、何故もう少し貯金をしておかなかったのだろう、と憤りを感じた。
幸い炎術師寮にいたおかげで自分は助かったが、タルジュ、マリカを含め「家」の子供達は全員その病にかかっていた。自分の貯金、「家」の金を合わせても半数を救うに足りない。どうしようもなく頭ばかり抱えていた時、炎術師寮の誼を通じて一つの申し出があった。
マリカの身柄を貰い受けるという条件で「家」の子供達を全員救ってやる、と。
申し出たのは、享受者だった。
自分の下を訊ねてくるマリカを見かけていたのだ。





気を抜くと虚ろになりかける瞳を賢明に凝らしてサクサクと足を進める。目の前には砂色の保護色の外套で全身を覆った堕天使。そしてその一歩後ろを歩くのは同じく保護色外套で身を包んだ自分と、もう一人の道連れ。南中しているのは煌々と輝く月。ドフルぐらい使わせてくれてもいいんじゃないかと恨み言が自然に流れた。
「仕方ないすよ。隠密も隠密、向こうの支部にすら連絡してないンすから」
「してどうする。あんな《孤島》に」
「まーそうすねー。じゃ、思い切って空からとか。ルフルフルフルフ」
「隠密時に鳥目はいただけないであろ。それに昼だと目立ちすぎる」
「じゃ、やっぱ歩きしかないデしょ。あし達が走ったらもうちっと速いかもしンないけど…それじゃ王サマが置いてけぼりっしょ?」
「むしろ余を置いていくのに大歓迎ぞ。余は休息をこれ以上なく較べるべくもなくヘサームがマユを求める以上に望んでいるのだ。嗚呼、2回目のアザーンまで熟睡できてた頃がナツカシイ……」
「いやいやいやヘサームサンに較べちゃまだまだすよー」
そう言ってケタケタ笑う人物はヴァーリによって選ばれた任務随行の二名の内の一人、名前をハミテという。膝まで届く長い黒髪を頭頂部で纏め額を包むバンダナから三つ編みにして某前支部長を髣髴とさせるように尻尾のように揺らしている。白い麻のチュニックを腰の部分で腰布で覆い、そこから帯びられたショートソードに見紛うような刀――これが、彼の得物だ。
ヴァーリから簡単に聞いた話によるとハミテはヘサームと同じく刀士らしい。ならヘサームと面識があるかと言うと、直接話したことはなく(ヘサームがあまり『血肉と鋼』に寄り付かないこともあるけれど)恐らくジャジャラ達のパーティの中で一番の勇名否有名どころの『被カウンター刀士』や『うちの妹知りません?何、知っている??いつ何処で何時何分地球が何回回った時にうちの妹に何をしたおにいちゃんは許しませんよ!!』等の噂で聞きかじったのだろう。
そんなヘサームの銘刀『インパルス』に較べても――ハミテの銘刀は短く頼りなく見える。ハミテが小柄なこともあるが、そんな刀を携えてなおヴァーリの推薦が取れる程ということは、ハミテは余程優秀な享受者であるというのだろう。じゃなければ自分が出向くような任務に同行させるわけがない。わけがないとそう思いたい。
「王サマー?キングー??砂漠で考え事してると足元からサンドウォームが出るっつーよォ?」
「マジでか」
「あしの家ではそォらしいけど、隣の家じゃファブだったからなー」
どれだけ差があるんだ。いや、サンドウォームが幼体なら脅威としてはどっこいどっこいかもしれないが。
とのような感じで出会って一時間で小漫才を繰り広げられるようになったジャジャラとハミテだったが、もう一人の道連れとは一時間どころか三日経っても打ち解けあえずにいる。名前はキンドジャール。挨拶の握手代わりにぼそりと呟かれたその名前以降、彼は(彼女かもしれないが)黙々とカリュオンに向けて歩いている。初めて会った時、サブールを抑えていた時などの格好から暗殺士であろうことはわかるが、目深に被られたフード、口元を覆う覆面から名前以外何もわかっていないのが現状だ。ジャジャラとしては戦闘に陥った時できるだけ連携を取れるよう仲良くするに越したことは無いと思っているのだが……その話すらも無言つまりはシカト状態だったのでその実現は難しいということだ。
「つーかファブ、ファブって食えるンすかねー。ファブファブ…しゃぶしゃぶにしたら美味しーとかそんなオチは……」
「意外とコリコリ」
「ふーン、それでいてまったりとしていてコクがある……って食ったことあるンすか!?実は王サマ胃袋キャラ!?」
「腐りかけてたがの」
「うへー、うへー。腐ったものはヨーグルト以外食っちゃダメってあしの家では言われてンすけどー。王サマの胃袋はバルフォルドの胃袋??腹から邪霊に食われちゃンすよ。おかーさンに言われませンでした?」
「生憎とそんな人間いなかったな」
「じゃあそんな王サマにはあしが言ってあげましょー。『肉は腐りかけがうンまい』!!」
「それじゃ奨励してることになるぞよ」


「―――敵」


ジャジャラとハミテの漫才を割り込んで、高くもなく低くも無い声が響く。この場でジャジャラとハミテに話しかける必要性のある人物はただ一人。そして――セリフの内容からハミテは銘刀の柄に、ジャジャラは指先に炎を纏わせる。
次の瞬間にはキンドジャールのいた場所が噴火したように持ち上がっていた。
「うあー。王サマが考え事しちゃったからほンとに出てきた」
「言っておくがこれは絶対余のせいではないと思う」
現に余の足元ではなくキンドジャールの足元に出てきたではないか。
まぁキンドジャールが考え事をしていたという可能性もさもありなん。
さて、そのキンドジャールが接敵に気付いたことから攻撃をまともに受けたこともないだろうが……砂漠から這い出てきたサンドウォームの上にサンドウォームとも保護色になって蠢いている砂色の物体を見つける。
キンドジャールの右手が軌跡を残して翻る。
ジャンビーヤ程の大きさのその短刀は、詳しくは『血華の轍』と呼ばれる暗器だ。その特殊な構造により『血華の轍』で傷つけられれば魔術以外に癒す方法はないという。しかし成体のサンドウォームの外皮は鋭い刃を物とせず、キン、と硬質な音を立てる。 それを見てか、キンドジャールが『血華の轍』の構えを変える。腕を鞭のようにしならせ、渾身の力が込められた斬撃が振り下ろされる。
インパクトの瞬間を狙って一瞬、空間が歪む。そしてキンドジャールが『血華の轍』を食い込ませたところから黒々とした破戒の炎が噴きあがる。

――【弱きを見抜く目】(インペイル)
――【貫き焦がす炎】(インスタント・ファイアウェポン)

キンドジャールが視線を向けると、額により大きな翡翠の瞳を発光するほどに輝かせたジャジャラが掌を舞わせていた。ヒラリ、ヒラリと生まれる黒炎。その中で瞳が敵意に爛々と煌く。
「早々に片付けることが善しと見た。ハミテ!」
「あいあい。おーサマの仰せのとおりってねェー」
弾丸のように飛び出したハミテの刀が縦横無尽にサンドウォームを斬り裂いていく。やはり、見た目に反してその銘刀はかなりの斬れ味を誇るらしい。『血華の轍』を簡単に弾いていた外皮が傷と体液に塗れていく。そこにジャジャラがさっきの魔術をさらに繰り出すと、サンドウォームはまるで幼児が駄々をこねるような動きで跳ね回った。口から消化液が、傷口から体液が飛び散ってジャジャラもキンドジャールも外套を深くかぶりなおす。その中でハミテだけがサンドウォームの攻撃を、飛び散る液体ごと流れる水のようにスルリと避けていく。ヘサームに似た足運びだったが、それともまた少し違うような雰囲気だ。
「王の力、その身でとくと味わうがいい」
黒炎の塊が一撃、二撃と暴風のようにサンドウォームに襲い掛かる。魂すら地獄の苦しみで溶かすという破戒の炎を立て続けに喰らい、それでもサンドウォームはのた打ち回る。
「ふん、小物ながらやりおる」
舌打ちと共に呟けばキンドジャールが漆黒の翼を広げ上空から堕ち込むように攻め上げる。急所を狙う暗殺術――渾身の力の篭った一撃は常人には見切れない弱点を的確に突き、肉を削り、穴を開ける。畳み掛けるように噴出す炎。
残像を残してハミテが肉迫する。ジャジャラの動体視力では捉えられないような神速の軌道で銘刀が振るわれる。さながら舞うように加えられていく攻撃に、終劇(フィナーレ)が近付く。全体重をかけた突き。空間が歪み、炎が噴出す中、さらに抉るように刀身を埋め込む。

――【徹刺】

緑色に染め上がった銘刀と腕を引き抜くと、ヌチャリとした嫌な粘着質な音と一拍遅れて盛大に体液が噴出す音がする。それを頭からかぶらないようハミテが距離を取ると、痙攣を続けるサンドウォームもその動きを永久停止した。
「ふ、余の手にかかって死んだことが貴様唯一にして最大の美点よ」
「芋虫相手にナニかっこつけてンすか王サマ。それに倒したのはあしでしょ」
「いや、余の【貫き焦がす炎】(インスタント・ファイアウェポン)が決定打と見えた」
あかん、この人ポジティブや。ベッタリとサンドウォームの体液がついた腕を背負い袋から清潔な布を取り出して拭く。黒炎王が休息を求めるのと同じくらい公共浴場が恋しい。
「………そいで、サンドウォームはどんな味すかー?」
「うむ、サンドウォームは齧った瞬間口の中に広がる酸味が素晴らしく…って食ったことないわ!!」
黒炎王のノリツッコミが夜の砂漠に吸い込まれていった。






享受者となったことにより生じた弊害をあえて述べるならば、記憶力が鮮明になった事であろう。人間の脳は処理能力の限界に達してしまうほど多くの記憶を思いだせるようには出来ていなく、『忘れた』記憶というものは脳の奥深くで記憶の箪笥にしまわれていて、それは実は決して無くなるものではないのだとか。ちょっとしたインパクトで忘れていたと思っていた記憶がぶり返すのもいい例だ。
そんな訳で後ろを振り向かない主義のジャジャラも、懐かしい街並みに、おいちゃんの吐き出す息のような退廃とした空気に否が応でも記憶の扉が開いていた。まぁ一年ほど前まではこの街で普通に過ごしていたのだ。それなのに――覚えているのに遠く思うのは、多分、それからのティオースでの毎日が多忙に多忙、濃く楽しくそして悲惨だったのが原因だろう。
「つーかやっぱ変わってねぇの……」
一年という短い期間で街並みがズラリと変われるのは最近要塞都市とも呼ばれるようになったティオースぐらいのものか。酒精や腐乱臭、そして血臭など色々と混じったような匂いが鼻を掠める。見渡せば、開店休業中の店の軒先で赤黒い顔をした男達が吐瀉物に塗れて倒れていて、無駄に胸元を寛げた女達は角で少しでもお金を持ってそうな男の袖をしなを作って引いている。それに道連れであるハミテが大袈裟に顔を顰めた。
「………人の、住むところじゃないンすよ」
「仕方なかろ。じゃがここはカリュオンでもまだましなところじゃ。袈唇の本部近くに行けばもっと面白いものが見れるがな」
平生通りにいるのは悪目立ちする。潜伏とはその場に溶け込むことだ。暗士のように自分の気配を完全に消して闇に同化することができれば話は別だが、そのような技能は生憎ジャジャラ達には無い。しかし一年前までカリュオン住人だったジャジャラにとってこの街に溶け込むことは朝飯前である。道端で落ちているような作業着を纏い、通りで買った何倍にも薄められた蒸留酒を傾けながら、行く道先々で行われている露店の賭場を覗く。それを後ろからハミテが信じられないような目つきで見ていた。キンドジャールは暗士なので暗士らしく別行動でいない。
青空賭場はポーカーなどカードから投げ上げたコインをどっちの手でキャッチしたか、なんてものまで色々なものがあり、そこには例外なく汚らしい人間達がうようよと群がっている。その中にナチュラルに紛れ込みコインを賭けるジャジャラの姿は完全にカリュオンの街に紛れ込んでいた。
そこの元締めらしい人物がコインを宙高く投げ上げ、普通人にしては早い動きでコインをキャッチする。その瞬間、ハミテはジャジャラの眼が妖しく輝いたのを見逃さなかった。
(おいおい王サマ……ナニ邪眼術使っちゃってンすか……)
そういえばこの人はよく【物を見通す目(スルーアイ)】で公共浴場を覗いては現支部長に鉄拳制裁を喰らっていたような。この人の邪眼をいっそ潰してしまったほうがきっと絶対世のため人のためになるだろう、とハミテは思った。
「左」
 そう言うジャジャラにハミテはあれ、と思う。刀士の動体視力で見切ったコインの行方は確か右手だったはず。
しかし元締めが掌を開けて見せた途端、疑問は氷解する。左手には先ほど投げられたコイン。つまりは――そう、
「イカサマ、じゃな」
ニヤリと笑ってハミテにしか聞こえないような声で言う。そして先程より膨らんだ財布を懐に突っ込んで往来に戻った。
「そのうちどっかしらに潰されるであろ。こんな街でも一応は暗黙の了解としてやってはいけないこともある」
「それがイカサマすかー。殺人、強盗、強姦は普通に横行しててもイカサマはダメ、ねー」
「それらもやり過ぎれば紫杯連の知るところになる。まぁ全てはそこそこで抑えるのがこの街で生き残るコツよ」
それはそうだろう、という常識的なツッコミは今更のような気がした。
「ところで王サマ、あし達はここでナニするンすか?あしには王サマが賭けを楽しんでいるようにしか見えないンすが」
「ふむ?そう見えるかの??」
「その通りす。しかもイカサマはダメだとか言いながら自分はその眼で…モガ」
「ハミテよ、これは処世術というものぞ」
張り手のようなスピードで塞がれた唇が歯に当たって痛い。胡乱な目つきで見返すが、この黒炎王はそ知らぬ顔だ。
「それはそれで納得すとしてねぇ。実質カリュオンについてからナーンもしてないじゃないすか!あし達の仕事は……」
「わかってるぞよ。情報の漏洩具合を確かめ、ついでに原因解明できたら儲けモン、じゃろ?」
「ヴァーリさンの言い草では儲けモンじゃなくて絶対解明してこい、みたいしたけどねー」
「そのようなことを一々真に受けていたらいくら余が気高く美しい王族とはいえ身が持たぬわ」
「…………」
「黙ってくれるな。それはともかく情報の漏洩具合については既にキンドジャールの方を動かしている。単に確かめるだけなら暗士ほど適している者はおらぬしな」
「れれ?何時の間にキンドジャールさんを動かしたンで??」
「何時の間にかによ。それでだ、ここは役割分担。余達はこうしてサブールとやらが引っかかったおかしなトリックを探る為にこうしているのじゃ」
「……へー。その割には王サマ、すンげく活き活きしてる」
「ふは、はは、当たり前よ。ここにはおかしなギミックを作り出す銀髪鬼もおらぬしすぐさま拳で訴えかけてくる狐耳もおらぬ。余は、今まさに、自由を!享受しているのだ!!」
ビバフリーダム!!とイイ笑顔を浮かべる黒炎王に大いなる憐れみと少しばかりの怒りを込めた視線を向ける。享受者としてかのティオースの英雄と任務を組むほどには界螺で過ごしているハミテだ。この英雄が普段どんな扱いをされているかなんて嫌でも眼に入っている。
「……という酷く虚しい話はおいておいてだな」
「自覚あったンで?」
「余はそこまで道化に徹してない」
「受け取るだけ受け取っとくすよ、その言葉。そんで元カリュオン住人として、どすか?なンか違和感でもありやした??」
「………ぅむ。そうさな……やはり、増えているな」
チラリと道端に一瞥を寄越す。酒のせいで人相までもが変わったような浮浪者が人事不省状態でくたばっているのが映る。眼は狂人のように虚ろでピクリピクリと電撃が走っているかのように痙攣している。
「増えている、そうすか。で、どうすンです??」
 見れば分かる、と言いたげに苛立たしげにハミテが言う。それをジャジャラはカラカラと笑って、
「こうするのよ」
先ほどの浮浪者の元に歩み寄る。そして浮浪者の目の前で片手に持っていたコインを指で弾き、素早い動きでどちらか分からぬようキャッチしてみせる。
そこからの会話はボソボソとしていてハミテの場所からは聞き取ることはできなかった。背を向けているのでジャジャラの表情口の動きは見て取れなかったが、浮浪者の方がもごもごと口を動かしているのを見ると、二人の間で会話が成立していることはわかった。
見るからに言葉をかけることも忌避したいような風体。同情よりもまず軽蔑の感情が浮かぶ、そんな人間。まともな思考力が残っているのだろうかと疑問にも思う。だが、そういう人間も幾多の人生経験を経てこのように落ちぶれていったのだろう。平坦な人生から外れた者の方がこの街では世情に通じている、というのが世界普遍の皮肉であろう。
しばらく何らかのやりとりが続けられた後、地面に先ほどのコインをパチリ、と置いてからジャジャラは身を起こした。恐らくお礼か何かをぶれた発音で言いながら浮浪者は素早くコインを懐に入れた。
「はてさて、琴削ぎ通りの『天羽屡』、ねぇ……」
なにやら思案気にジャジャラが戻ってくる。
「なンかあるンで??っつーか何聞いたんで?」
「聞いたのは最近とみに人気上昇中の賭場。そんで琴削ぎ通りにあるのは…何を隠そう、界螺カリュオン支部」
「ふぅン??」
 一応界螺の名の下結束を誇る各都市の支部だが、それはやはり名前だけのものだ。実質ティオースも重要でないものは本部に指示を仰がずにこなしてしまうし、そのための報告も綿密とはいえない大雑把なものである。本部も本部で内部での揚げ足の取り合いの方に気がいっていて特に咎めもない。以前の界螺がどうであったかは知らないが、あまりの結束の無さにジャジャラも少々疑問を感じたこともある。しかし現在の状態がジャジャラにとって不利も有利も齎さないので放って置いたのだが……再びこの街を訪れることになるのならば少しは動いていた方がよかったのかもしれない。
このカリュオン支部。ここも一応は界螺の名を名乗ってはいるが、『孤島』と揶揄される通りほぼカリュオン外との交流は無い。本部から送られる人材も何かしら過去に大きな過ちを犯したような者ばかりで、カリュオン行きを命じられたらそれは実質『切り捨てられた』と同義なのだ。
 それゆえ、ジャジャラ達にとって界螺カリュオン支部は決して仲間とは見なせない。むしろこの邪霊に侵食されつくしたこの街である、敵と言い切ってもいいかもしれない。
「じゃあ、おーサマちとヤバくないスかぁ?おーサマカリュオン住人はカリュオン住人でも元袈唇っしょ?敵対してたりして顔覚えられてたんじゃないすか?」
「…そんな、享受者になった途端逃げ出したような木っ端を覚えているもんかのう。ま、用心するにこしたことはないが……」
「いーやこういうのは万全ビシバシ国家機密トリプルA並みの心がけで挑まなあかンす!!あしの家ではこういうンす!!『石橋は叩き壊してその残骸の上を渡れ』と!!」
「いやそれ橋の意味ないから!!全国の橋職人泣いちゃうから!!」
貴様の家は一体どんなんだ、と心の中でツッコミを入れる。妙な家訓が多すぎだ。その内『堕落は一セッションで一回まで』とか『カウンターは確実に返せると確信が持てる時だけ』とかさらに不可解なものまで増えるんじゃなかろうか。
そして確か、ジャジャラの知識では『天羽屡』という名の賭場は一年前あの通りには存在しなかった。おそらくはこの一年で一躍流行に躍り出た新進気鋭のものなのだろうが、偶然なのかもしれないが、界螺カリュオン支部の近くとくればその関連性も疑いたくなる。紫杯連が資金作りの為にもカモフラージュの為にも普通の店を装うことは少なくなく、特に娼館、賭場など元々後ろ暗い商売などがうってつけなのである。
そしてさらなる懸念――それこそ、元々この街の住人であるジャジャラが行くのを渋っている最大の理由だ。『天羽屡』に向かうにつれて明らかに人の流れが多くなっていく。先ほどの男が言っていた、最近儲かっている奴は皆その賭場に行く、ということ。 そう、この『天羽屡』という賭場は明らかに紫杯連の目がつくほどにやりすぎている。
それでもこの店が商売を続けているということは界螺、もしくはそうでないことを願うが袈唇が十中八九絡んでいるだろう。他の紫杯連もカリュオンに支部を出しているかもしれないがジャジャラが少しでも内情を知っているのはこの二つのみだ。
まぁ、ここがカリュオンだ、ということを考えればどんな紫杯連だって危ないに決まっているが……
「牽制……いやむしろ連……」
「どうしたんすか?」
前を歩いていたハミテがクルリと振り向いた。
「……ゲキ。いやヘサームの流れるような連撃が何発目で止まるか計算しておっただけじゃ」
ヘサームに非常に失礼な内容である。
そして何だかんだ言っている内にどうやらその噂の賭場に着いてしまったらしい。汚いカリュオンの街並みと違って、どこぞの建築様式に乗っ取って作られたような建物は目算で5階建て、といったところか。戦車や獅子といった勇ましい彫刻の施された柱が天高く聳え白亜の天井を支えている。ジャジャラ達を迎えるように両開きになった頑丈そうな鉄の門扉は明らかに新しいもので、その賭場がやはり新進のものであることを示していた。そしてその中に入っていく者達の表情は一様に幽鬼のように蒼白く、そして汚らしい。
「まるで、地獄門を通るかの心境よ……」
「何を今更。あしなんかカリュオンに入る瞬間からそンな気持ちすよ」
自分達が既に地獄にいることを棚に上げて、黒い看板に金字で書かれた『天羽屡』という文字を見ながらジャジャラ達は呟いた。




中はやはりというか雑然としていてまるでバザールの夕方の市のようだった。赤ら顔のおっさんどもが押しのけあうように賭博に興じ、歓声怒声、そして罵声が至るところからあがり貨幣がじゃらじゃらと擦れ合う音が響く。典型的な賭場の姿だがここはカリュオン、賭場の数ならジャハンナム随一だというのに、明らかにここの賭場は人が集まりすぎている。視界が人で埋まり賭博を行う場が見えないほどで、しかも後ろにも人が詰まっていて後退もできない。
「……むう、動けんな」
「何言っちゃンすか。この程度ならまだバザールの方がましス」
敏捷力が命の刀士ならばそうだろう。しかしジャジャラは享受者の中では鈍足な方に入るのだ。いやむしろ一般人にしては少し速い程度にしか入らないかもしれない。
「しっかし、ここの人達、ほんと駄目すね。家族の人とか心配しないンすかー?」
改めて呆れ返るようにハミテが言う。賭博を余り好んでなさそうなこの青年には単なる浪費に見えるのだろう。
「心配して止めるべき家族も一緒に博打してるのじゃろ。擁護する気は無いが、肝心なのは浪漫を感じる気持ちよ。それに…」
「それに?」
「こんな奴らに家族はいないじゃろうな。どっかしらで破綻するか、最初からそんなもん持っていないのであろ」
それか元々の家族の定義が違うか。人間と天使で家族の定義が違うようにカリュオンとティオースではそこに決定的な違いがあるのだろう。ふと、ヴァーリとラークの双子、そしてヘサーム、マユ兄妹の姿が脳裏に浮かんだ。彼らの姿こそがハミテにとってもスタンダートなのだろう。異質なのはこの都市自体なのだ。
「うウん、あしは早速ここから一目散に戦略的撤退をかましたくなってきたすよ」
「『戦略的撤退』じゃなく『逃走』であろ。それと『早速』でもなくて『改めて』の間違いじゃろうて」
「そうなンすよね……っとと」
正面からやってきた客の一人をハミテは俊敏な動きでかわした。その客……否、浮浪者は半眼でハミテを睨みながら出口の方に向かう。
「避けて正解だったな、ハミテ。多分アレ、スリだったぞ」
「ンまー……あしだって享受者すからそう簡単にはスられないですが…で、で、おーサマ、あし達これからどうするんで?」
「あ?何を言っておる。余と貴様は情報収集と言っただろうが。このままこの賭場で情報を収集しつつ客の様子を観察……勿論、目立たぬよう場に溶け込んでな」
「なるほどなるほど………って、また賭博じゃないすか!」
ビシィ、とツッコミがジャジャラの鳩尾に入った。時を経るごとにツッコミの動作に遠慮がなくなってきているのはジャジャラの思い違いではなさそうだ。
「し、仕方なかろ!賭場に来て賭博をしないのは単なる冷やかしになるではないか!!暗殺士でもあるまいし、余はそこまで、というか決定的に隠密のスキルは低い!」
なんたって敏捷は燦然と輝く1である。イニシアチブに至っても板金鎧を装備すれば最低どん底の1だ。現在は砂漠越えもあったため軽甲鎧を着けて来たのでなんとか8ほどにはなっているがそれでも享受者の中では底を這いつくばっている方である。現役刀士であるハミテと比べること自体間違っていると思っていい。
「全く、サブールさんもサブールさんす。こんな店、見た途端に逃げ出すくらいの根性見せるべきすよ」
「………いや、付き合いというものは中間管理職にとっては代えるものの無いほど大切なものぞよ?それにこんな魅惑的な誘いをハナから断ろうとするのこそ余には理解できんわ」
「ああ、おーサマにとってはそうしたよねー」
そう言いながらも一応この場に溶け込む振りをするハミテ。一応簡単な、見ただけでルールが把握できるようなものに興じるふりをするが、その賭け金はやはり賭博を好まない通り微々たるものである。まあ一応この店に入ったということはイコール己が身でかの奇妙なトリックを解明する気はあるということだろう。少々気になる態度であったが。まあ、ついでに賭博のスバラシサをその身で以て知ってほしい、と心の中でエールを送りながらジャジャラはその場を離れる。
『天羽屡』は巨大な賭場だった。優にルフが50頭くらい入りそうな広い敷地で、その一階二階が大衆用の賭場となっている。乱雑に柱や置物で区切られたスペースで色々な種類の賭博が用意され、身奇麗な制服に身を包んだ従業員が目の色を変えた男達の間をスイスイと通り抜けていく。そして奇妙なことに従業員は皆口元だけ見える仮面を被っていた。
(仮面賭場…??主催者はよっぽどいい趣味をしてるんじゃな)
二階にあがるが、同じような風景が繰り広げられていた。違うのは次の階への階段の場所と賭博の種類ぐらいか。こっちにあるのは少し残虐味を増した種類のものだった。番号のついた穴の開いている樽の中に人を入れ、何番の穴に刀を刺せば樽の中に入った人間が死ぬかを賭けるもの。毒杯の混じった数個の杯から一つを選んで、飲み干した後生きていたら勝ちというもの。要するに常人の感覚をもってすれば狂気の沙汰にしか見えない催し物が嬉々として行われている、ということだ。賭けに勝った者は歓声に包まれ、負けた者は断末魔をもってしてその人生を終える。
その、単純にして、なんと興奮を呼び起こすことか。
しかしジャジャラは唇の端を歪ませるようにして明らかな不快を示した。
カリュオンでは当然の光景だが、それをジャジャラの中で当然と受け取るには少しこの街を離れすぎた。
三階が直に質屋に繋がっていることを確認して一階フロアに降りる。そこら中から血の匂いが漂ってくるのに鼻の方が我慢できなかった。
(少し、安穏としすぎたのだろうか)
かの界螺ティオース支部の良き隣人『空前絶夢』の雰囲気は、よく言って享楽的、開放的である。界螺ティオース支部長だったアヴィシィや良き同胞であった虎の獣人刀士などが中心に、明るく楽しく面白くな雰囲気が形成されていた。常連同士のくだらない雑談や、賭けの結果に一喜一憂する声が何処からともなく聞こえてきて、賭博だけではなくここに来て楽しむことを目的にするような、そんな店だった。
しかしここはどうだろう。ギラギラと殺気立った男達がただ賭けの対象であるカードやサイコロにのみ集中し、互いなどまるで敵かのように言葉をかわすことなく睨みつける。ジャジャラの経験に限らせて言わせて見れば、前は多少殺気立っていてもまだしも『空前絶夢』のような享楽的な雰囲気があったはずである。
………?
ふと、視線を感じた気がして振り返った。雑踏と称しても異論無いほど込み合った店内で、依存者達は己の得意分野である賭博のコーナーの方へ一心不乱に向かっていく。ジャジャラを見向きもすることもない。
気のせい、だろうか。
邪眼術という己の五感に魔力を乗せて放つ魔術を体得しているジャジャラは他人の気配に対して人一倍敏感である。その自分のセンサーに引っかかるということを気のせいと流すことは、本来ならば死活問題かもしれないのだが、なんとなく気のせいにしておきたかった。
兎角ここの雰囲気は異様である。賭けに興じるふりをして(ふりでもないが)探ったところ、別段ゲーム自体に特に変わったルールやのめりこむ要素も無く普通に一般に横行している賭博場である。だのに彼らは打って変わって殺気立つほどにここで賭け続ける。おそらくはその絡繰こそがサブールの引っかかった今回の本題であろう。そしてヴァーリ達との話し合いでも出たカリュオン依存の早期進行の件だが、ジャジャラ個人としては邪霊が関わっているという可能性が一番濃厚だと思っている。
神経を研ぎ澄ませ、自身の立つ周囲全方位に感覚を広げていく。
邪霊がいつどのように人間を唆すのか、普通人は感知することができない。それが地獄の支配者である首領級邪霊の作り出した“非認識の呪い”というシステムだ。しかし頽廃の果実酒の洗礼を受け超人に生まれ変わった享受者なら感覚を研ぎ澄ますことでそれをも打ち破ることができる。
幸い、ジャジャラはその手の能力に長けていた。以前非認識の呪いに守られたフィサールの怪物を相手にした時、ジャジャラとミリアムのみがその呪いを看破し敵の正体を見極めたという実績がある。
ただ、見極めただけで奇襲攻撃はしっかりと受けてしまったが。
………………………
この雑踏一人一人の一挙一投足逃さぬ集中力で違和感を探る。足音、コインの鳴る音、独り言、表情、顔色、雑踏の流れ、全てに気を配り矛盾点を弾き出そうと五感をフルで張り詰めさせた。
やはり、というか、なんというか。
邪霊以前に、先ほどの感じた視線は気のせいでも何でもなかったことが判明する。上手くジャジャラの感覚の死角を縫って絡みつくように向けられた視線が五感をフル活用したことで感覚の網に引っかかったようだ。しかも複数。そして、どれもがジャジャラが集中することでやっと気づくことができるほど高度な隠身、つまりは単なる一般人ということではすまないということ。
はあ。
めんどくさいやらやってしまったやらで、とりあえず溜息をついておく。
ごめんなさいヴァーリさん。どうやら僕に隠密の任務なんて駄目駄目無理無理のようです。というかぶっちゃけ余にそんなコソコソしたことは覗き以外無理だってわかってほしいです。余には進むべき栄光の王道華々しき未来へのロードを大手を振って歩く義務というか権利というかむしろ決定事項があるんですじゃい。じゃい。ジャジャラ様 黒炎王です ジャジャラ様。
「ぃよし。辞世の句、完了」
ここでハミテやハーフィズ、妹が関わっていない時のヘサームなどがいれば「辞世の句かい!」と軽快なツッコミでも帰ってこようものだが、生憎黒炎王の単独行動である。奇妙な気合を入れ意を決して視線の主の方へ歩を向ける。すると、気付かれたことに気付いたのだろう、視線の気配が薄まる――のだが、たった一つ、視線の主がジャジャラから隠れたりする様子もなく、ただ誘うかのように視線を向け続けている。
余裕、なのだろうか。
群集を掻き分けていく中、ジワリと冷や汗が滲むのがわかった。ここは敵地であり、かの袈唇の本拠地カリュオン。それだけでもジャジャラより実力者はいるだろうことは簡単に予想できるし、何よりジャジャラ自身自分が単独で戦いに挑むことの愚かさを嫌というほど知っていた。いざとなったら同じ建物内にいるだろうハミテを頼るしかない。騒ぎにはなるだろうがむしろその混乱の間を縫って逃走することぐらいはできるだろう。
壁際の、腕の多い奇妙な人間のオブジェの乱立する比較的目立たない場所に移動する。この賭場にいる人間は殆ど賭博のコーナーか自分の懐に視線を向けているし、賭場の人間であろう、客の間を縫い飲料などを配っている店員もジャジャラのいる場所の方など見向きもしない。完全に賭場の死角と言ってもいいだろう。
「却説、いい加減姿を現してもらおうかの」
ジャジャラの瞳が不穏に碧に煌く。ジャジャラの十八番【物を見通す眼】(スルーアイ)。これにより例え群集に紛れていようともその身に隠した異質を即効看破することができる。
「―――――!!!」
驚愕に見開いた瞳を瞬かせるが、見間違いなどそう都合よくは起こらなかった。

「んな、馬鹿な…!?」





「久しぶり。噂はかねがね聞き及んでいるよ」

壷惑的に歪められた唇から再会の辞を述べられて、
一年前に決別を果たしたはずの、『緋色の道化師』、クラウン・クロー・クラウスと遭遇した。









『ジャジャやん物語 2』


2010.1.24.
presented by ogi