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その日、まだもう少し若かった頃のクラウン・クロー・クラウスは東区の死体収集業者の下を訪れていた。義眼培養研究の為に二、三新しい死体が必要となったのだ。できることなら生者のものを使いたかったが、買い取るにしても適当に襲うにしても手間がかかる。死んで間もない死体ならば生者の十分の一以下の値段で仕入れられるし、時折貴重な享受者のものを手に入れることもできる。もはやお得意先となった業者に挨拶をすると、早速真新しい死体の情報を書き連ねた帳簿を持ってクラウスに近づいてきた。
できるだけ新しく、損傷の無い物がいい。死亡理由ごとに整然と書き連ねられた帳簿をペラリペラリとめくっていると、『死亡理由:頽廃の果実酒飲用』の欄に珍しく『目ニ見エル外傷ナシ』とあった。頽廃の果実酒を飲んだ者は、その苦痛から逃れるために自傷を行い、その怪我が元に死んでしまうことも少なくない。そうでなくても頽廃の果実酒に体が耐え切れずに全身が破壊されてしまうケースが殆どだ。その点にクラウンは疑問を持った。
クラウンはそれを買い受けることを業者に伝えた。巨大な箪笥のような死体置き場に死体は火葬待ちで入れられている。そこに向かうと明らかな腐臭が一面に漂う。しかし業者にもクラウンにも慣れたものであった。
帳簿に書かれた番号の引き出しを探すのは簡単だった。幸いにも下段の方に位置していて、取り出すのにも苦労は無い。業者は帳簿に何かを書きつけ、まず状態を確認すべく引き出しを開けた。
「おや、貴方。貴方のところでは生者も扱い始めたのかい?」
弱弱しいが脈打つ死体を見て、クラウンはそう言った。
宿屋、ではなく宿貸しと正直にネーミングされているのが非常に気になったが、宿屋も本来一日寝床を提供するだけなのだから宿貸しの方が正しいのかもしれない、薄い壁に狭い部屋、おあつらえ向きの汚らしい寝床に申し訳程度の椅子が一つという超が三つほどつくオンボロ宿でジャジャラはキンドジャールと向かい合っていた。この辺りの宿は日雇い労働者がその日の賃金でなんとか寝床を確保する程度の最低条件の物件ばかりで、個室であることが奇跡なほどである(部屋の隅で固まっている異臭を放つ何かは根性で無視した)。
ジャジャラは汚らしい作業着から元の着慣れた黒ローブに戻り、キンドジャールの方も出会った時と変わらぬ黒尽くめで、もし一般人の第三者がここに紛れ込んだらどこぞの黒ミサの会場かと絶賛勘違いを起こしそうな雰囲気だ。部屋の明かりも油が最低限しか差されてないせいか相手の顔を確認できる程度の明度しかないので、まるで闇の中顔がボォッと浮いているかのようにも見える。まあ角部屋だから夜中にトイレと間違えた馬鹿が来るぐらいが関の山だと思うが。
その見るからに怪しい二人の間で炎が踊る。勿論黒炎ではなく単なる赤炎なのだが、それがまさに舞い踊るかのように複雑な軌跡を描いていた。
炎術士の特殊会話技能、『炎話』。
一見ただ単に炎を舞わせているだけに見えるが、その炎の色、形、動きなどを利用して意思伝達を行う、炎術士ならではの会話法である。相手に見える角度でのみきちんと伝達されるので、誰かに見られても会話内容を盗み聞かれるといった心配が全く無いし、万が一見えたとしても紫杯連によって微妙に表現に差異があるので、このように敵地に潜伏した時などの秘密の情報交換にとても便利だ。
フゥ、とジャジャラが一息つく。炎が舞っていた場所をキンドジャールはじっと見つめたまま腕を組む。ジャジャラの提示した情報(カード)について思うところがあるのだろう。
手持ち沙汰なので、その様子をボーッと見ながら昼間のことを思い出す。
異様に賑わう賭場。界螺カリュオン支部。緋色の道化師。
この三つのキーワードがジャジャラの中で特に異彩を放っている。この異なる三つの点を繋ぐには、些か強引な理由が必要になってくるだろう。例えば、賭場と界螺カリュオン支部の接点を作るのに、賭場が支部のカモフラージュである、という理由が必要になってくるように、それぞれの関係を等号で結ぶには界螺カリュオン支部と緋色の道化師というキーワードは並列に並べることができないほど相反している。
記憶から型抜きしてきたかのような姿が脳裏に浮かぶ。
当たり前だが一年という月日で人間はそう変わらないものだ。自分のことを棚に上げてそう思うが、彼については変わる余地を残しているのだろうかと疑問にすら思う。
変わり者は、変わらない。
昔の偉人が残したこの名言によると、変わり者は徹底的に変わってしまったがゆえ変わり者と称されるらしい。成る程、一理ある、と自分のことをさらに神棚にあげてジャジャラは思った。
ゆらりゆらりと陽炎のように揺らめく炎の髪、その下に覗く、比喩ではなく真っ白な顔。
色素が欠乏した銀糸の民でも、その皮膚の下に透ける血の色でまだ肌だとわかる色に見えるが、彼の場合、石膏で塗り固めたような完全な白である。人通りが多いところを歩けば真っ先に注目を浴びそうなものなのだが、一般人がその違和感に気付くことはない。最近は邪霊の否認識の呪いではないか、と考えているのだが、彼の立場からしてそれも正解ではありそうだが少し違うと直感的に思っている。
さて、そんな彼が界螺カリュオン支部の縄張り地域の賭場にいるに足る理由は?
今現在予想できる理由は三つ。
一、敵情視察。袈唇の幹部である彼が直々に赴くのは奇妙に見えるが、彼は基本気まぐれだ。
二、賭しにきた。ンなアホか。
三、実はここ袈唇の隠れ家です。あれ、もしかして余、飛んで火にいるあの虫??
三だとしたら実にヤバイ。十中八九サブールが引っかかった賭場はここであるから、ここで情報を売ったとしたら情報がダイレクトに袈唇行っている可能性がある。そして原因究明するには虎穴に入らなければいけなくなる。それは絶対に拒否したい。
好ましいのは二だが、そんなにポジティブに考えれないのが実情だ。実際ジャジャラ達が賭場を見て回った感触は、特に面白いとかのめりこむ要素は感じられなかった。だからこそこの現象が奇妙に映るのだが、それを彼も調査しに来たのかもしれない。
そう思うとすんなりとクラウンがあの場にいたことにも納得がいく、のだが……
「腑に落ちん…」
ポツリ、と口に出して呟く。
「……何がだ」
低く這うような声が返事を返した。
その声に、むしろ返事があったことに驚愕する。
「あ、ああ、別に何でもないぞよ」
クラウンの件はキンドジャールに報告していない。
目だけを出すキンドジャールの覆面が、かえってその鋭い視線を強調している。掌に嫌な汗がにじむのを感じた。
そのことを勘付かれるのもややこしいことになるので、適当に話題を取り繕う。
「いや、な、探った感触がどうも特筆すべきことが無かったからな。逆に『何でもない』ことが異常に見えてな」
「それも道理。だが…」
そう言いかけてキンドジャールの指が舞うように動き出す。炎話に切り替えたのだ。
その動きを見て、一瞬、ジャジャラの目が不穏な光を発す。
続いてジャジャラの指が舞い、炎が踊るように軌跡を描いた。そしてそれにキンドジャールが返す。
普段から使わない技能ゆえに言葉を交わすよりも意思の伝達に時間がかかる。
筆談ならばもう少しは早いだろうスピードで、言葉なら十分ですむ内容をジャジャラとキンドジャールは一時間ものの時間をかけたのであった。
「……ぅむ…」
炎話の途中でジャジャラ達の動きが止まる。安物の椅子の上で足を組むとギシギシと軋んだ音を立てた。対してキンドジャールは音も立てずにベッドからスッと立ち、そのまま入り口のほうに浮遊しているかのように移動し、扉を勢いよく開けた。
「うぁ!?」
扉の先にいた人物が奇妙な呻きを上げるが、その人物が誰かを視認する前にキンドジャールの血華の轍が喉元に突きつけられていた。
「タンマタンマッ!!キッドジャールさン俺ス俺ス!」
「暗士というのは非常に便利なものだのぅ。よもや我等が朋輩、海千山千の猛者にして千軍万馬の古兵、一太刀抜けば大地割れ、一太刀振るえば雷鳴轟く、ティオースきっての刀の冴えを見せる刀神・ハミテ様に化けてくるとは畏れ多いにも程がある」
「ンなっ!おーサマボケてないでキッドジャールさン止めてくらはいよッ!!」
「しかし悲しいかな、我等は堅き友情にて結ばれた断金の義兄弟。お天道様はだまくらかせても朋輩たる余の炯眼は誤魔化せぬ。さあ潔くお縄頂戴せよ不逞の輩!法の下にて裁きを下そうぞ……と、嘘じゃ。んな泣きそうな目をするでないわ」
ジャジャラが手を振るとキンドジャールも血華の轍を下ろす。半泣き状態になっていたハミテはそこで漸く息をつけた。
「もー…心臓に悪いスよ。思わずあし、内蔵が口から漏れてサグドーバイになっちゃうかと思ったスよ」
「なるかいな。んで、なんの用じゃい」
ジャジャラが問いの言葉を発すると同時にキンドジャールがハミテと入れ違いになる形で外へと出て行く。そのままキンドジャールに割り当てられた部屋に向かわず廊下に消えていくのを見ると、また調査に出て行くのかそれとも先ほどの談合で気になることでもあったのか。心の中でお疲れ様と呟いてハミテの方に意識を戻した。
「あんれま。あしに剣を向けたことなんか全然気にしなくていいスのに」
「誰も気にしとらんと思うがな」
「それもそれで酷いス」
そう言ってハミテは部屋主に断りなくベッドの上に座り込んだ。
「何の用つーかですね。昼おーサマと一緒に探索しに行ったじゃないスか。キッドジャールさんも別に行動してたみたいだし。で、フィールドワークが終わった後はミーティングが基本ス。あしの家でもこう言います。『信頼するなら金をくれ』と!」
「なら余にくれ」
間髪いれずにジャジャラが要求するが、ハミテは聞こえなかったふりをした。
「つーまーりーはー、あしだけじゃ何がわかってるかとか全く整理付かなかったンで、おーサマやキッドジャールさんに聞こうと思ったンスよ。そったらおーサマ達はあし抜きでもう情報交換してるし……」
恨みがましそうな視線をするが、今度はジャジャラが聞こえなかったふりをした。
「ふむよくわかったぞよ。つまり今の貴様の心境は問題集のわからない箇所を優等生に聞きにきた少し成績が悪目のチェリー否ストロベリーボーイ百パーセントと言うわけじゃな。よかろうよかろう。このパーチィのリーダーたるこの余がキンドジャールの収集してきた情報を含めこれまでの復習プリントを赤字で埋め尽くしてやろうぞ」
「……そこまでは、言ってないンスが……」
「まあ嫌そうな顔をするでない。結局は余の主観でまとめた現在の状況じゃ。異論があれば遠慮なく申すがよい……ところでハミテ、貴様は炎術は齧っていたか?」
「まさか。からきしス。」
「火吹きは?暗殺術は??」
「どっちも×スよ。それがどうかしたんすか?」
「ふうむ。では邪眼術はどうだ」
「全然スよ。あしは純然たる刀士ス。まあちっと剣舞とかやっとったスが」
「まあよい。今のは気にせんでくれ。まずキンドジャールの方…情報の漏洩具合から簡潔に言うとな、それが結構深刻らしい。サブールは優秀な間諜だったらしくてな、各地で集めた情報は勿論のことティオース界螺支部の構成員情報やらなんやらが一挙に流出しておったそうじゃ」
「…まじスか……うあー、サブールさんがヴァーリさんに殺されるー……ついでにあし達も殺されるー…何とかしないと殺されるー……」
「ふほほいい感じに絶望しとるがトドメは早いぞよ。キンドジャールの調べによるとその情報を売った先は複数に渡ってはいないらしくてな。まあ情報の買収なんざやれる組織もカリュオンには多くはないが少なくない。しかも売る情報がティオース界螺支部と来たら高値で買ってくれるところなんて五指が余るほどじゃろ」
「ハイハイおーサマ先生」
「なんだねハミテ君」
「その先はちと聞きたくねぇス」
「残念。余達は既に虎穴に入った夏の虫も同然。しかしわざわざ言わんでももう薄々と予想はついておるであろ?」
「……………」
ガックリと項垂れながら頭を抱え込む。バンダナから覗く黒い三つ編みが左右に揺れるのをジャジャラは呆と見ていた。ハミテはしばらくそのままブツブツと呟いているようだったが、意を決したように勢いよく頭を跳ね上げた。
「…んで、俺達の方なんスが」
「それなんじゃが、ハミテ。少し相談したいことがある」
「なんスか?」
「まずは貴様の『天羽屡』感想を聞きたい」
「えあ?あー……まー、なんつーか」
「なんつーか」
一拍おいてハミテは恥らうかのように言った。
「楽しかった…ス」
「ふむ」
「あーあーいやいや任務のことは忘れてないスよ!?賭けた金額も少ないスしお小遣いもちぃと増えたし損は無かったからゲーム感覚で楽しかったっちゅーだけで……」
語尾に行くにつれ声が小さくなっていく。そして縋るような目つきでジャジャラを見る。
「ハミテ君、ダウトー」
「あああ、やっぱー?」
軽くハミテをチョップした。それに対して大げさなほどの動作をとるハミテ。
「ったくしょうがないのう。サブールの説明を聞いておっただろうに。いや、刀士を伴った余が悪いのか?だがしかし余一人は絶対にイヤダ。前衛のいない後衛なんてファブ相手でも分が悪い…」
「おーサマ?」
「いやなんでもない。んでな、結論から言うと『天羽屡』は十中八九サブールが引っかかったところじゃ。賭博を軽蔑してた貴様の心境の変化を鑑みることで絶対そうじゃろうと思う。もしそうでなくても、もう『天羽屡』とは関わりを持たない方がいいと余は思う」
「なんでスか?サブールさんが引っかかったところならもうちと調査を深めた方がいいんでないスか??」
「ミイラ盗りがマミーになるという言葉を知らんのか。ここがカリュオンだということが少々頭から抜けていたわい。邪霊の干渉なんざ日常茶飯事、人間は堕落する為に産まれ、生死すら余興の一つ。ジャハンナムで一等穢れた街、破戒都市・カリュオン。ティオースと一緒に考えたらティオース中の人間から非難を浴びるじゃろうに」
「………?」
なおも首を傾げるハミテにちらりと視線を送るが、明後日の方向に向き直って話を続けた。
「つまりは初動からして方向性を間違っていたということよ。サブールの引っかかったのが邪霊の仕業だとしたら――カリュオンでは不思議なことでも何でもない。調べるほどのことでもない、いつものことだというだけじゃ。何故カリュオンにおいて賭博依存症が『カリュオン依存』と呼ばれるか、わかるか?そこに堕落を囁く邪霊の力が働いているからよ」
「!!」
理解したかのようにハミテの顔がさっと強張る。大地に重力が働いているのと同じ原理でカリュオンには邪霊の力が働いている、と言ってもいい。ジャジャラ達はそれを、少し狭い枠で捕らえすぎていた。
「おーサマはさっき『天羽屡』が十中八九サブールさんのひっかかったところってーましたが…」
「ああ、別に『天羽屡』でもどこでもいい。サブールがひっかかったのはこの街自体、と言い換えも可じゃ。これ以上邪霊のトリックについて調べても恐らくは無駄骨。却って藪蛇をつつき出す事になりかねん」
ティオースを救った、と言ってもジャジャラ達はまだ中堅クラスを出ない享受者だ。そんな自分の程度くらい嫌というほど弁えている。特に自分は支援特化の魔術師で、後衛にしても少々火力が足りないくらいだ。ハミテやキンドジャールが前衛を守ってくれたとしても急造で組まされたこのチームでは不安が尽きない。せめて、ヘサームかターラーがいてくれたら…と無い物ねだりを考える。
自分達はこの街の異分子だ。最悪の場合、街全体が敵になる可能性がある。その場合生き残れる可能性など皆無。なんてたって敏捷はどん底の1だからの。ふほ、ふほほほほほ。
なんて。はぁー、と長い長い溜息をついた。心の底から道化を演じても、このひたりひたりと迫ってくる危機感は離れてくれない。あるいは胸の内に抱いていた懸念が一斉に花開いたような、そんな気分。カリュオン行きを命じられた時から嫌な予感しかしなかったが。
ああ、そもそも、そのカリュオン行きの命令すら怪しいのだ。
自分が考え付いたことをあの銀髪鬼…失礼、支部長補佐が考え付かない訳が無い。カリュオンに実際行ったことがなくても、情報収集に抜け目ない彼のこと、ここがどういう絡繰で動いているか知っていて当然のはず。
脳天から背筋を通って嫌な想像が全身を震わせた。
それに気付いてか気付かないでか、ハミテがぶーたれるような口調で言った。
「えー、でも、『邪霊の力のせいなんで逃げ帰ってきました』じゃあ、あし達ヴァーリさんにフルボッコにされちゃいまスよう。戦いの最中で命を落とすのはまだしも、ティオース七不思議の餌食になるなんて、あしは勘弁ス」
7どころか108あっても不思議じゃないが、ティオースは。
「じゃからと言って無闇に歯向かうのか?敵地の真っ只中、このカリュオンで。余は絶対御免じゃぞ。こんなところで、ティオースなぞの為に、界螺なぞの為に犬死するなんて死んでもごめんじゃ」
少し過激な表現だったか、と思うが撤回はしない。さらに続けて、だったら逃亡者になった方がまし…、と言いかけて、ハミテの恨みがましそうな、軽蔑したような視線に気付く。
「嘘でもティオースの為に、とか言ってもらいたかったスねぇ…」
「正直は美徳じゃ」
「今言っても説得力は皆無ス」
「まあ、里心つけ、と言われても実質一年ちょっとしかティオースには住んでおらんわけじゃ。この通り、余の故郷はここじゃからな。いっそのこと界螺カリュオン支部に駆け込んだほうが、まだ余にとってはいいことかもしれん」
「……………」
信じられない、と言った風に言葉を無くしたハミテを他所に、ジャジャラは足を組みなおし椅子にもたれ掛かった。ギシリ、と軋んだ音だけがこの汚い部屋に響き渡った。
不意に巻煙草が欲しいな、と思った。懐を探るが、普段より少し重量を増した財布以外指に当たるものはない。なんとなしに寂しい気分だ。もし巻煙草があったなら、できるだけ苦味の強いものがいい。色だけは何処までも純粋な白に見える煙を吐いて、それに周りが不快に眉を寄せれば最高の気分だ。
「とにかく、余はこれ以上この街と関わりとうない。キンドジャールはもう少し動かねばならぬが、余達にできることはここではもうない。明日には街を出る」
断言したジャジャラはもはや言うこともない、とばかりにハミテから視線を外す。ハミテはジャジャラを睨みながらも沈黙を続ける。ぐっと握り締められた拳は小さく揺れているのが気配でわかるが、それについてジャジャラが何か言うことはない。言えることなど、何一つ無いのだ。
ハミテは一度視線を逸らし俯いてから、再び顔をあげる。特に何も表情に乗せてないジャジャラが腕を組んで座っているのが視界に入る。
「………そうやって…また、裏切るんスか」
小さく低い調子で呟かれる。
「また、とは奇妙な言葉だのう。余は別にこの一年でヴァーリ達を」
「あんたはここを裏切ってティオースに来たんだろうっ!?ここがこんなだからそれよりましなティオースにまで逃げてきたんだろ!!あんなに居心地よさそうに付き合ってたくせにターラーさんやヴァーリさん、ティオースをこんな任務を割り当てられただけで裏切るのかよっ!!あの人達はあんたを信頼して期待して無理難題とも言えるここに飛ばした、違うかよ!!こんな、邪霊だらけの街での危険だらけの任務に!!だのにあんたはっ……」
「おいおいそんな声を荒げるな。というかだな、なんか思考が飛躍しすぎてない」
か、と言おうとして再び言葉を妨げられる。
「うるせえよ!!自分の無能力棚に上げて自分が危険だからホームを捨てる?あんた最低だ!そんなのを頼ってた俺がバカみたいじゃないか!!死ね!死んでしまえバカキング!!」
罵声の限りを尽くした叫び声を残してハミテが扉を蹴破るような勢いで部屋から出て行く。安普請な宿が悲鳴をあげている。
「……んー…まあ、予想できた反応だがの」
キャラクター付けの口調をも振り捨てて吐露された激情に少しだけ良心が痛んだ。そう叫びたい気持ちも十分ジャジャラにも理解できるものであったが、理解できるのと共感できるのは別物だ。ジャジャラの選択はジャジャラの本心に他ならない。そう冷静に選択できるようになったのも、ジャジャラがハミテより少しだけ大人であったということだろう。
立ち上がると、安宿の低天井ではそれほど高身長でもないジャジャラでももう数十センチで天に届く。昔はあんなに遠かったものがこうも近く、狭く感じるなんて考えてもみなかったことだ。ここの部屋は狭く、またカリュオンという世界は今の自分には単なるもっと広大な世界の一部分でしかなくなった。生きるということはその世界をさらに広げていくことに繋がるのだろう。カリュオンという世界からティオースを含有し、さらにまだ世界は広くなる。
「裏切り、か……」
それは前提として信頼関係があってこそ成り立つんだ、とか、行為としての裏切りかそれとも心情的なものである裏切りなのか、とか、瞬間的に哲学的な思いが脳裏をかすめた。
着の身着のままでベッドに寝転がる。さっきより天井が遠ざかった。
『ジャジャやん物語 3』