5
マリカが嫁いだ先の男が婚姻の喜びから次第に冷めていっているのに気付いたのはいつだろうか。
自分自身、かの事件が心に深い罪悪感をもたらして周囲の状況に鈍感になっていたことはあるが、それでも婚姻から三ヶ月に満たない時期であったと思う。その頃自分は仕事場に篭りきりとなり、滅多に「家」に帰らない生活を送っていた。
正式な炎術師となる。
かの事件が与えた自分への目標であった。
そうすれば「家」への仕送りは増えるし、あのような事件が起こっても自身の力で解決することができる。二度とあんな後味の悪い事態を引き起こすことは無くなるだろう。
そう思い、仕事の合間、そして仕事が終わった後上司に頼み込んで炎術師組合の書架を開放してもらい、研鑽に励んだ。本来ならば見習いが単独で利用することは内容の危険性から禁止されているのだが、自分の鬼気迫る形相からか、半ば暗黙の了解で許可されていた。
その勉学の場に彼が現れた時、随分久しぶりに会うな、と漠然と思った。
最近の自分の人付き合いの悪さのせいもあるが、以前は二日に一度くらいの頻度で会っていたのに、最近では仕事中でも顔を見ることが少なくなっていた。久しぶりに会うことを含め、マリカの近況などを聞きたいと思い酒場へと誘った。
酒の席では、主に自分の炎術師としての適性についての話となった。先輩享受者として彼からは教えて貰いたいことなどごまんとあるし、また最近の勉強でわからないことについて質問する絶好の機会であった。
しかし、自分が一番聞きたい事柄について彼は曖昧に話を逸らすばかりであった。
マリカが嫁いでから一週間の間、彼は暇さえあれば自分にノロケの話を聞かせたがっていたというのに、不思議であった。自分が彼と疎遠にしていたせいかと決め付けていたのだが、少し違うのではないか、と違和感を感じ始める。
彼は酒を傾けながら語った。
おまえは優秀な炎術師になれるよ。元々見習いだったとはいえこの短期間に驚くほど腕を上げている。上もおまえを評価していて、今度の試験で正炎術師になれるだろうって言っているよ。
私は答えた。
とんでもない。今まで怠けすぎていただけなんだ。それに試験の内容も実力だけでは測れない部分がある。一発で合格なんて無理なんじゃないかな。
ククク、とくぐもった笑いをあげて彼は視線を合わせた。
焦点の合ってない斜視がかったその視線に、一瞬ゾッとした。
じゃあ、おまえの運、今ここで試してみないか。
彼は六つのコップを取り出して、そう提案した。
かたいねどこはよいねどこ、あまつゆふせげばどこでもてんごく。
少し前に読んだ『厳選!ナッシングホーム格言ベスト100』に載っていた言葉が浮かんだ。通されたVIPルーム自体ジャジャラが先日まで逗留していた宿と大差ないレベルで、それはここの待遇がいいのか、はたまたあの宿が俗悪すぎるのか、少し悩むところであった。しかし最大の違いはあの宿が鍵を内からかけれるのに対してここは外からかけられるということだ。
つまり、牢獄。
牢獄といえば地下、地下と言えば界螺ティオース支部、という最近の認識を覆してこの牢獄は支配人室と同じ階層―つまり最上階にある。地下組織は地下に潜るもの――どうやら自分は大層ティオース色に染まっていたようだ。このように上へ上へ上りたがる人を見て違和感を感じるようになるとは。
筵の上に腕を厳重に拘束された状態で転がされて、何もやることも無く、丁度いいとばかりに物思いに耽る。
あの男――ムンタキムは自分を袈唇との交換材料に使う、と言っていた。しかしそもそも自分は袈唇の間諜になど就職した覚えはなく、雇用主もあの狐耳支部長にティオース七不思議の支部長補佐のはずである。転属願いも出した覚えは無く、支部長達が今回命じたのも単身赴任のはずだ。
そして恐らく袈唇にとって自分は裏切り者であり(またこのwordかyo!)、ティオースにおける活動を阻害した邪魔者のはず。そう言った意味で交換材料としては成立するかもしれないが、ムンタキムが思い描いているような大幹部とのコネなんて全く望めない立場である。
そこに立ち会うのが、クラウン、だとしたら……?
ああ、うん、どっちにしろゲームオーバー。あのキ印に捕まった途端、余、死亡確定。獄にも行かせてもらえない。
唯一の救済ルートがここから脱出することなのだが、残念なことに両腕を封じられて炎術が使えない。ならば邪眼術を、と言いたいところなのだが、不幸なことにジャジャラは攻撃的な邪眼術を取得していなかった。
そこでハタ、と気付いた。自分は何故目隠しをされていないのだろう。
邪眼術に対する一般人の反応は顕著なもので、享受者でも邪眼術に造詣が無いものは気味悪がるものである。なんていったって視線が合うだけで魔術をかけられる可能性があるのだ。邪眼術師を捕らえた場合はまず先に何よりも視界を塞ぐ事が肝要である。高位の邪眼術師となれば相手の意志に関わらず操ってしまうことが可能である。ちょうど、自分の師のように。
………………待て。ちょっと待て。
嫌な想像を思いついてしまい、焦燥が心を焼く。自分の現状以上に危ういものは無いのだというのに、自分が今思いついたことがムンタキムの言葉に信憑性を持たせた。
操られているという可能性を考えなかったのは、自分が自分であるという確信ゆえだ。それを疑ったことは無いし、あの死にかけた事件以降その傾向は増すばかりである。唯我独尊俺様黒炎王。
だが、それが無意識であったら?糊塗されたものを自分だと思っていたら??
堕落がもたらすのは身体、精神、魂の変調だ。ジャジャラは自分が邪霊の囁きに力を借りたことを覚えている。しかし自分が王であったことを思い出したのは己の中から出た真実であるとしていて、自分が堕落した真実と王である真実は奇妙な符号の一致でジャジャラの中に存在していた。
だって、余、王だもん。
仲間をはじめティオースの面々はそれをジョークのように受け取っている。しかし己はそれをいつでも本気で言っているのだ。他人にそれを否定されようと、依然ジャジャラにとって事実であるのだから、事実は存在する以上むきになって否定することはないと思っている。
だがそのことは知識として虚構の創造という可能性を示唆する。己が己だと信じているだけでは己の証明とならないのだろうか。しかし他人からの証明があればそれが己ということになるのだろうか。身体、精神、魂。人体を構成するそれを証明するのはなんなのか?個人というものを解体していった先の究極の自己とは一体なんなのだろうか??
自分と他人の間で自己を証明するものは、簡潔に証明するものは記憶だ。
だけど。
それを。
己は。
「………おーサマ、何やっちゃってんスか」
「うむ、頭のすとれっちじゃ。くるしゅうない」
心底呆れたその声に飄々とした声で返した。がくり、と擬音を声に出して頭を抱えているハミテを腹筋でなんとか体勢を変えることによって見る。ほぼ半日ぶりに見るその姿は仮面従業員の制服を着ている以外にあまり変わりは無い。いや、頭のバンダナを外して特徴的な三つ編み頭をアップしていることも重要なアレンジポイントか。
「おーそうか、そういう風に潜入してたら、余、気付かないわな」
「そんな悠長なこと言ってる場合スか。全く、あしが助けに来なかったらどーするつもりだったンすかー」
「まーまーそう言うでない。現に助けにきてくれたではないか」
その忠節ぶり、感動にたえぬぞよー、とヘラリと笑って付け足せば、苦虫を噛み潰したような表情でハミテは懐から鍵を取り出す。ガチャリ、と金属音がすると鉄格子の扉はいとも簡単に開いた。
そのまま愛刀でジャジャラの腕の拘束を解くと、助け起こそうとはせずにそのまま牢の外に出る。
「ああー…腕が動くって幸せぞー」
関節がバキバキと音を鳴らし、滞っていた血流が腕全体を駆け回る喜びを噛みしめる。
「この世の幸福に浸ってるンもいいスが、ちぃと急いでくれねースか?」
「うむ?どうしたのじゃ?」
遠くの方から慌しい音が聞こえる。気がする。気のせいにしたい。
「牢の鍵をハイジャックするのにスね、ちぃっと強引な手段をとりやして」
「………」
「絶賛この建物内であし達はお尋ねモン状態ス」
「ワァ、余、嬉しい!!…って言うかたわけェェ!!」
スパコーン!と軽快な音をハミテの頭が鳴らす。うむ、良い響き。きっと中身があまり入っていないに違いない。
「たっ!?助けに来た人に言うセリフじゃないンすよ!!もっと感謝の言葉とかねぇッ!?」
「今はそんなこと言っている場合か!?無事この街を生きて出られたら抱擁でも接吻でもなんでもしてやるわ!?」
「ハイパーいらねぇっ!?」
口論を交わしつつもハミテの先導の下牢を出る。牢は最上階の一番奥まった部屋にあり、窓は勿論通風孔すら無い完全なる一方通行である。場所が場所であるから隠れているのは不利であるという判断の下、そこをハミテとジャジャラは全力疾走で通り過ぎた。途中見覚えのある高級木材でできた内開きの扉を通り過ぎるが、幸か不幸かそこから人が飛び出してくる気配は無かった。漸く最上階の廊下で窓を見つけて、そこからハミテが軽業師さながらの動きで屋根に飛び移った。日は既に落ちていて、自分が捕まってから随分な時間が経っていたことに気付く。
右手を舞わせて魔術の軌跡を描く。
――【噴出し動かす炎】(ファイアジェット)
このままどこかに飛んでいきたいところだが、どっかの享受者に打ち落とされるのも嫌だし、第一街の外に出たところでちょうど気力が尽きそうなので、素直に降下にだけ使う。地上に降りたハミテはそのままカリュオンの路地裏を進み、ジャジャラもそれに付いて行く。
「待て、どこに行く気じゃ?そっちは街の外とは正反対じゃが…」
「ンなこと言ったって、あし達徒歩で来ちゃんスよ!?ただでさえおーサマ足遅いンだからドフルにも追いつかれるでショ!こうなったら少し時間を置いてほとぼりが冷めるのを待つのが上策スよ!!もうちょっと行ったところに隠れるのにイイところがあるんス!」
賭博都市、眠らない街と言われるだけに、昼間と違う点は夜闇のヴェールが降りていることぐらいで、人の波は途切れない。
しかしハミテが進む方向に行くにつれて段々と人数が少なくなってきているのがわかる。いつの間にこんな場所を見つけたのやら、と思うのと同時に、まあ当然か、という思いも浮かぶ。
完全に人影が途切れ、月明かりが隠れていてもわかるほど広めの路地に出たところでジャジャラは足を止めた。
「ここでよくないか?」
「はァ?まだまだ先スよ。なんスか、もう疲れたーとか言う気じゃ…」
「いや、私を殺すのならここでもいいのではないか?と言ったんだ」
瞬間、砂漠の夜気が更に冷たさを増した。
此岸との距離はおよそ10メートル。その間をいつでも詰められるようにハミテの身体が緊張状態にあるのを見て取って、ジャジャラは続けた。
「お互い、道化ずに話そうか」
「………」
「『天羽屡』の支配人に私の情報を流したのはおまえだろう?しかも故意に情報を改竄して、私が邪眼術師であることを知らせなかったろう。私が自力で牢を脱出できる余地を作る為に」
「なに、を…言っちゃってるンすか?あしはあンたを助けに来たじゃないスか」
「従業員に扮して私が脱出してくるのを待ったが、一向にその気配は無い。当然だ。私は攻撃的な邪眼術を会得していないのだからな。脱出してきた私に『天羽屡』の従業員を皆殺しにした罪を擦り付けるのに失敗したお前は予定を変更して私を助け出した――あいも変わらず私を殺す為に」
「…………」
「どうせ私の死体を現場に戻した後、黒炎でも放つつもりなんだろう。そうすれば邪眼術で殺された形跡も残らないし、私が下手人でも辻褄が合うことになる」
「だから、なんでそんな話に」
「おまえはティオースでの私の噂を知らないのか?」
黒炎王、傍若無人、でもなんか扱いやすい、雑用王、覗き魔。9割が不名誉なネーミングだが、そこには全て真実が宿るからである。
――【物を見通す眼】(スルーアイ)
ジャジャラの最も得意とする邪眼術だ。
「…象牙でできているとは趣味のよい仮面だ。そして機密を守るにはやはり鉄製の密室がいい」
「………!」
ジャジャラは見通していた。自分を捕まえに来た従業員の素顔も、逃亡中静まり返っていた支配人室の中の惨劇も。そして、安普請の宿での同行者の行動も。
「だけど、それは…」
あんたを助ける為で、と言い掛けるハミテの言葉を制して続ける。
「それから私がティオースに来たのは一年前だ。三年も昔じゃあないよ」
ムンタキムが得意げに話していたこと。次期支部長と称していたが、彼から感じるプレッシャー、性格などを鑑みると、到底そんな地位にあったとは思えない。ただ、経営者として評価するならば彼は成功者であったかもしれない。こうして、無駄に享受者として名声を求めなければ。
「…いつから、気付いていた」
ハミテの口調にふざけた調子が消える。数オクターブ低いこの声が彼の本当の声なのだろう。ピリピリとした殺気が肌を撫でる。
「ほぼ最初から…と言いたいが、確信したのは賭場の従業員が警戒態勢をとった時だよ。おまえは私がカリュオン出身ということを知っていたね」
「だがそれは貴様も公言していることだろう」
「だけど袈唇に所属していたことは支部長すら知らないことだ」
「………!」
「わざわざ敵対紫杯連に属していたことを話して回る馬鹿がいると思うかい?もっとも支部長補佐はその可能性を常に考えていただろうがね。末恐ろしい男だよ、ヴァーリは。そもそも、この任務自体隠された意図があったんだ」
おまえは馬鹿正直に任務の重要性について私に語っていたがね、と言うと、ハミテの顔に険が増す。
「この任務のおかしさは前に語った通りだ。サブールがカリュオン依存になったことは本当だ。そしてサブールがティオースの機密を売ったのも真実だ。だが、外回りのサブールは何ヶ月、いや何年ティオースに帰っていない?界螺ティオース支部の支部長が交代し、人員も相当入れ替わり、支部の場所すら変わったティオースの何をサブールは知っている?情報は正確さに加えて新鮮であることに価値がある。そしてそれを調べるのに何故私やおまえが派遣されるのだ?漏洩度確認だけなら暗士一人で事足りるだろうに、わざわざサブールが引っかかったトリックの解明という尤もらしい理由をつけてまで私達を寄越した意味は?」
そこで一息つく。これから話すことは少しばかり心の折れることなのだ。
「答えは明白だ。その界螺ティオース支部が生まれ変わるに当たって、不要因子を見極めておきたいからだ。私達は疑われているんだよ、あの抜け目無い支部長補佐に」
そう、袈唇にいた事実を隠していてもカリュオンにいたというだけで疑いにかかる。同じようにして目の前の男も疑われたのか、それとももっと直接的な要因を看破されたのか。
「だが腑に落ちないな。あんたは曲がりなりにも界螺ティオース支部の幹部に名を連ねているだろう?」
「書類に埋もれたとはいえ、それは誰にでもできる仕事をやっていたに過ぎないよ。私はこれまでに界螺ティオース支部の機密に関わる仕事を一切やっていない」
そう、誰が処理してもいいような書類。様々な雑用。
ヴァーリが信を置いているのは生来ティオースで生まれ育った者だけだ。ターラー然り、ハーフィズ然り。だからこそグレーゾーンの自分はこんなところに飛ばされた。
そして、その片割れは見事に真っ黒であったということだ。
「しかし腑に落ちないことと言えば私にもある。おまえの行動理由だよ。私が袈唇であると知っているのなら、何故『天羽屡』の人間を皆殺しにする理由がある?私が袈唇の人間だった、と立証する為ならばもっと賢い方法があっただろう。それ以前に私を殺そうとする理由がわからない。元袈唇である私を殺して界螺ティオース支部に取り入ろうというつもりか?だがそれなら『天羽屡』の人間を殺すのに奴の力を借りる必要はあるまい」
「本当に、わからないのか?」
殺気が満ち満ちたその声に空気が一瞬にして重くなる。まるで物理的な力が込められているかのような場の変質は、それこそムンタキムが持ち得なかった高ランク享受者のみが持ちえる威圧感のせいだ。
ハミテがゆったりとした動作で腰に佩いた愛刀を抜刀する。剣にしては小さめなショートソード然としたそれが凄まじい切れ味を誇っているのを、ジャジャラはその目で見て知っていた。
「俺の銘刀の名を教えてやろう。あんたが、その胸に受け、命を貰い受ける刀だ」
雲が晴れ、月明かりがその無垢なほど白すぎる刀身に反射する。
小さく細い、か弱そうな刀身。黒一色の飾りもないシンプルで清楚な印象を受ける柄。
「【マリカ】!!」
刀身開放された銘刀が唸りを上げる。
それが戦闘の開始であった。
既に後ろ手で発動させていた【噴出し動かす炎】(ファイアジェット)で後方に飛び上がる。己の技量では刀士に駆け出しでも敵わないことを身にしみて知っている。それが高ランクの刀士であれば尚更だ。こうして距離を取り、魔術で少しずつ削り殺す以外術はない、のだが…
――【飛凰】
ハミテの身体がしなり、爆発的な速度で空を飛ぶジャジャラに肉迫する。そしてその速さはジャジャラの感覚でも捉え難いほどであった。
否、視線で捉えることはできても身体がついていくことができない。ジャジャラにできることと言えば、それが致命傷にならないようわずかに身を捻って少しでもダメージを減らすことであった。
加速度に従ってハミテが向かいの屋根に着地した。空中で一瞬交差しただけだというのに五体が鋭く痛む。まだ初撃なので辛うじてこの程度で済んでいるが、刀士の、銘刀に込められた潜在能力はこんなものではない。
【噴出し動かす炎】(ファイアジェット)で上昇を続けながらも両腕で別の魔術を形成する。
――【放ち葬る炎】(ファイアナイフ)
小さく鋭い黒炎の炎が掃射的にハミテに襲い掛かる。あるいは避け、あるいは銘刀で弾きながらもハミテの身体に着弾する。
が、
「弱いよ、あんた。全然弱い」
「………」
「支援型魔術師が何だよ。弱くちゃ生きていけない享受者の世界でさ、ほんと何言っちゃってるんだって思うよ。他人に頼る?他人を縋る??ムカつくんだよっ!!!」
地面を蹴ってハミテが飛び出す。闘気に満ちたその突撃を、ジャジャラはまともに食らった。3回…いや、4回か?深く鋭くその身を抉ったのを冷静に数える。勢いを殺しきれずに吹き飛び、不幸中の幸いとばかりに布張りのテントの上に無様に着地した。
「でもあんたも歪だよね。支援型とか言ってさ、攻撃の一つ軽減する白炎術も使えない。殆どが攻撃的な支援魔術だ。………ああ、そうか。他人に頼る、じゃなくて、あんたのは他人を利用するっていったらしっくりくるのか。そっかそっか」
「っ……ぐ、」
唇を切ったのか、口の中が鉄錆臭い。ゆらりと揺れるようにハミテが近づいてくるのが見える。
「だからあんたはマリカを簡単に売り渡せたんだ。あんたの中でそうすることが一番最良だって判断を下して、それで済むなら被害は軽いほうだって納得して、マリカに着たくもない花嫁衣裳を着させたんだ。ニースがいなくなった時もそうだ。アルダも、カシューラの時も、そうだ。こんな街だからって、こんな世界だからしょうがないってあんたは俺達に言い聞かせたんだ」
「ケホ……ぁ…」
出血が多いな、とハミテの言葉を聞きながら思った。特注の板金鎧ならもうちょっと防げただろうが、砂漠越えのこともあって、現在の装備は軽甲鎧である。もう一度先ほどの連撃を受ければ獄に行けるな、と冷静に現状を分析した。
「――あんたが、死ねばよかったのに」
「…………」
「マリカの代わりに、ニースの代わりに、アルダの代わりに、カシューラの代わりに、ジルの代わりに、あんたが死ねばよかったんだ。なんであんたが生きてんの?死ねよ、死んじゃえよ」
死ね。
死ね。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!
最初は普通に囁くように喋っていたハミテが、いつの間にか叫ぶように怨嗟の声をあげていた。
【マリカ】と名付けられた銘刀が振りかぶられる。
白くたおやかなその刀身は、ジャジャラの血で汚れている。
「八つ当たりしてるんじゃないぞよ、小僧」
ピタリ、とハミテの挙動が止まる。
「自分が何も出来なかったからと言って逆恨みも甚だしいわ。大体余を恨むのも筋違いであろ」
こいつは。
こいつは何を言っているのだ?ハミテは思った。
死にかけておきながら不遜な顔で自分を睨み付けてくるこの男は、一体何を?
「余は常に余の判断に従って動いておる。マリカを嫁がせたのも貴様の言うとおりそうするのが最善だと思ったからじゃ。そしてそれ以外余にできることがなかったからじゃ。だが貴様はどうかの?毒にやられ、床に臥して死の境を彷徨っていた貴様は、「家」の為に、マリカの為になんぞしてやれたというのか?――のう、タルジュ」
真名を呼ばれたことでビクリとハミテの身体が跳ねた。
「何も出来なかった貴様が、幼さを言い訳に何もしなかった貴様が余を糾弾することは究極の自己否定、単なる八つ当たりにすぎんということじゃ。鏡に向かって罵っているのも同じであろ。だがな、余はマリカを嫁がせたことを後悔してはおらん。そうしなければ皆死んでいたし、言ってはなんだが奴は好意に値する男じゃったしの」
っと、これは言い訳に当たるんかの?
少しおどけてみてもハミテは無反応であった。
「それに、マリカはそれを承諾して嫁いでいった」
「…………」
「この状況を救う為に彼女が自分でできることを判断し、決断してくれたのだから、このことを一体どうして余が後悔できよう?」
自分の胸に腕を回して思いの丈をぶつけてきた少女。これが今生の別れであることを漠然と悟って、必死に己に自分を刻みつけようと訴えかけてきた。××××が思い悩むことじゃないよ。あたしが、皆を救う為に決めたことなんだから。そう、自分を励ますかのように己に言った。
「余を攻めるのはよい。余の力が至らなかったこともあるだろう。それにいくら貴様が余を恨んだところで貴様に余をどうにかすることなどできはしない。しかしマリカを理由に余を恨むことは――彼女の決断も侮辱することになるぞよ」
ジャジャラとハミテ――タルジュの間で沈黙が走る。ジャジャラの表情も、タルジュの表情も変化が無い。10秒か、それとも一分か、時間感覚が狂うような時を経て、タルジュが乾いた笑いをあげた。
「……ハハ、そうだ。その通りだよ、兄さん。認めるよ。俺は俺が憎くてたまらない。何もできなかった自分が、そしてこんな運命をもたらした世界が憎くてたまらない」
チャキ、と音を鳴らして銘刀が構えなおされる。
「うん、だけどね。同じくらいあんたが憎いのは本当のことなんだ。マリカを売り渡したことだけじゃなくて――死んだと思ったあんたが“ジャジャラ”なんて名前で新しい世界でのうのうと生きていることがさ」
「…………」
「あんたが死んで、勿論「家」は離散したよ。俺はあんたを兄だと思ってたけどさ、あんたが安定した収入を「家」にもたらすからってその収入目当てで「家」にいた奴もいたんだ。笑っちまうよ。「家」なんて呼び方。家族としての振る舞い。それすら生き抜くために利用しなきゃいけないなんて、さ」
それを処世術と呼ぶならば、詐欺すら慈善活動と呼べるだろう。だがタルジュはカリュオンで生き抜くには少しばかり素直すぎた。
淡々と、しかし懐かしむように語っている彼からは昔の名残を感じた。
「だけど、俺にとっては本当に「家」だったんだ。あんたがいて、マリカがいて、帰ってきたら「おかえり」と言ってくれる家族。それだけで貧しい食事にもぼろぼろの衣服にも耐えることが出来た。でも、あんたは死んだ。死んだと思っていただけだったんだけどね。それならそれでよかったんだ」
「だけどあんたはティオースで生きてた。別の場所、別の人間と一緒に仲良く暮らしてた。俺の家族と同じ姿で、黒炎王だかなんだか知らない道化をかぶって、楽しそうに!俺はそれが憎くてたまらない。俺達家族がいるのにそれを捨てて平気で生きているあんたが」
「まあその経緯は少しばかり複雑だがの…否定はしない」
「八つ当たりだとかそういうのもわかってる。でも俺はあんたが憎い。憎いから殺す。この憎しみは、俺だけのもので、俺の憎しみであんたは殺される」
【マリカ】と呼ばれた銘刀はどのような思いで名付けられたのだろう。
きたる日に己を殺す為に鍛錬され続けたこの銘刀は、家族を生かす為に自身を捧げた少女の名を冠したこの銘刀は鋭く澄んだ刀身をしている。ただ単に、その佇まいが似ていることからタルジュが万感を込めて名を呼んだに違いない。そう思わせるだけの美しさが、その銘刀にはあった。
【マリカ】が弧を描いて振り下ろされる。白刃の軌跡はゆっくりとジャジャラに吸い込まれ――
「だから、貴様に余をどうにかすることなどできないっつったろーが」
その途中で横合いから出された剣に阻まれた。
「!!」
剣と剣が交叉する硬質な音が響く。
しかし片や銘刀、片や無名の暗器では分が悪いと悟ったのか、力の流れを意図的に弱くすることによって銘刀の軌跡をずらされた。
「キンド、ジャールッ!!」
ジャジャラとタルジュの間に割って入った黒衣の暗殺者は、そのままジャジャラを背に庇うようにしてタルジュと対峙した。
「ハミテ…いや、タルジュと言ったか。貴様の調べもついた。まさか下っ端とはいえ〈銀ムカデ〉の配下がティオースに潜り込んでいるとは思わなかった。ヴァーリ殿も神経質になるわけだ」
「……バレたか」
大して動揺していないようにタルジュは返した。先ほどのジャジャラとの口論が返って彼を冷静にさせてしまったのだろう。
ジャジャラを殺す、その一点にのみ集中した彼に余計な揺さぶりは意味が無い。
「先ほどの会話も聞かせてもらった。黒炎王、あとでみっちりと話を伺いたい」
「やっぱりーデスヨネー」
「…どうでもいい。俺にはジャジャラさえ殺せれば。でも、あんたがそれを邪魔するというなら、」
ヒュッという風斬り音を立てて銘刀の切っ先がキンドジャールに向けられる。
「その前にあんたを殺す」
瞬間、キンドジャールがジャジャラを抱えて空へ跳んだ。タルジュの矮躯が躍動して、壁を蹴って二人を追いかける。重力に逆らい壁に対して垂直に走行を続けるその動きは、明らかに人類を超越していた。
「忍法壁走りー…これだから刀士は…」
「我等もあれぐらいできるぞ」
「…これだから暗士はー…」
変なところで張り合ってくるキンドジャール。あれ?そんなキャラだったっけ?
カリュオンの街を文字通り飛ぶようにして駆け抜ける影が二つ。それは夜の闇に紛れて視認することができない、が、それにしては周囲に人影を見なさすぎるという印象を受けた。キンドジャールが人目につかないルートを選んでいるのだろうが、それはいっそ不自然なほどであった。
1分ほどの時間が経過したところでカリュオンと外を隔てる外壁に着いた。街の外周をすっぽりと覆うそれの上はかなりの高度であり、同時に人通りなど皆無であろうことから死闘をするには丁度よい場所であった。
ただ、大分足場が悪く、気をつけなければ城壁を越えてフライング・ザ・スカイしてしまいそうである。今なら飛ぶ手段のある幸せについて一万字は堅いとジャジャラは思った。
ジャジャラを放り出してキンドジャールはタルジュに向き直る。しかしタルジュは減速することなくキンドジャールの懐に突撃した。
――接近戦において刀士は最も優秀なジョブであると言っても過言ではない。速度、威力、いずれにおいても最高を誇るそれは他の追随を許さない。
突き出された銘刀を軌道をずらすように『血華の轍』で受ける。ギャリギャリと異音を発しながら空を切った銘刀だが、タルジュは全身を回転させるように体勢を替え、すぐさま第二撃をキンドジャールに放った。
早い。自分を襲った時よりも、遥かに。
バシュッとキンドジャール自身から血華が咲いた。肩、腹、と続けて繰り出される斬撃に、キンドジャールは防戦に回るものの、タルジュの変則的な刀の軌道に追いつかないようだ。
タルジュとキンドジャールが離れる。地上に一旦着地したタルジュ目掛けて無数の『極襲の刃』が降り注ぐ。ヌラリと紫の光沢を持つその刃にはおそらく毒が塗布されているのだろう。
――【流水】
その身のこなし、まさに水が流れるが如し。
一撃一撃が急所を狙う刃の嵐を、ことも無げにすり抜けていく。
魔毒で強化された連撃をあっさりとかわしてタルジュは反撃に移った。
「まずはその邪魔臭い翼を落としてやるよ!」
闘技を駆使して空中戦を挑んでいるタルジュにとって地上が主戦場になればもはや負ける要素は無いといったところか。浮遊のために広げられたその黒翼目掛けて白刃が振るわれる。漆黒の羽根を散らし、骨を力任せに叩き割り、肉を裁断し血飛沫が舞う光景を、ジャジャラは幻視する。
「生憎、もう二度と翼を失いたくないから、ごめんだ」
「――!?」
タルジュの表情が驚愕に彩られる。
キンドジャールの翼は健在であった。――タルジュの銘刀を受けてもなお。
ガギッという交叉音がキンドジャールの翼の肉質を教えてくれる。
硬質な響き――人の肉では有り得ない、金属的な音。
その隙をついてキンドジャールの腕が動いた。タルジュの視界を黒衣が覆う。目くらましを受けたタルジュはキンドジャールに連撃を叩き込むことを断念して地上へと再び降りた。
全身を覆う黒い外套を取り去って、隠されたるその身を現す。
なだらかな曲線を描くその肢体を所々無骨な獣甲が覆っている。堕天使の黒翼と見間違えていたその翼は、何度見ても本物の翼にしか見えないが、背中の接合部だけが機械めいた質感を曝け出していて、それが精巧に作られた偽の翼であることがわかる。
「あんた、獣甲暗士だったのかよ」
警戒を強めながらタルジュが言う。
「今回の任務では暗殺術だけで事足りると思ったのだがな。いやはや、予想以上の手練れで嬉しいよ」
「嬉しくねぇ」
キンドジャールの腕があがる。両肩に装着された砲門が起動し、タルジュに狙いがつけられる。
仲間に獣甲闘士がいないせいか、はたまた知っている獣甲闘士が大柄な男のせいか、女性として柔らかな肢体を持つキンドジャールがこのように獣甲で身を固めているのはどこかアンビバレンスな魅力がある。円を描く曲線と角を描く直線の融合、というか、なんというか。
………おんな、のこ?
「キンドジャール、そなた、おん」
ぱくぱくと酸欠の金魚のような口の動きをするジャジャラをキンドジャールは一瞥する。女っていやまさか。身長余と同じぐらいじゃん。
その発言は珍しくこの男前な獣甲暗士を不快な気分にさせたようだ。吐き捨てるようにキンドジャールは言った。
「黙っておられよ黒炎王。戦に女も子供も関係有るまい。其処に有るのは唯一つ」
ガキン、と何かが外れる音がした。
「生き死にだけだ」
ゴババババババババババババババババババババババババ!!!
豪雨に似た音でキンドジャールの肩から放たれた光が地面を、城壁を削る。一つ一つが致命的な殺傷能力を有する弾丸である。それが、雨霰のように降り注ぐという絶望。穴だらけになった地面がその空恐ろしさを物語る。
それは狙って撃つ、などという生易しいものではなく、まさしく蹂躙という言葉が相応しい弾丸の応酬。
「ぐ、ぁ、ぁ、ぁ、あ、あ、あ!!」
その中でもタルジュは生きていた。刀術と雑芸術:ソードダンスを融合させた独特の動きで被害を最小限にするようかわしている。それでも被弾は免れず、全身は少しずつ赤に染まっていく。
タルジュはチャンスを伺っている。壁すら穿てるのではないかという強い視線をキンドジャールから逸らさずに、その決定的な契機を待っていた。キンドジャールが攻撃の手を緩めるその一瞬、どうしようもなく動きが止まる瞬間を。
ガキン!
音を立ててキンドジャールの肩の〈哭砲〉が跳ね上がる。冷却装置から排熱の為の水蒸気が立ち上り、次弾装填を求めて弾倉が口を空けた。
「ふッ!!」
傷口から血がほとぼしり空中に弧を描くのを躊躇せずにタルジュは幾度目かの跳躍を果たした。〈哭砲〉の弾切れで、他に攻撃用の獣甲が見て取れないキンドジャールは無防備に見える。タルジュに向けて何も持たずに腕をあげているキンドジャール目掛けて、その銘刀を振りかぶる。
「弾切れの瞬間襲い掛かられることを、今までの戦場で私が経験していないとでも思っているのかい?」
だとしたらとんでもなく甘く見られているのだね、少し嘆息気味に呟いた。
タルジュに向けて突き出された腕――その掌が、不意に煌めきを放った。
嫌な予感に突き動かされてタルジュが身を捻る、が、それも一瞬遅く、
ゴッ
空気を寸断する音、肉を焼く音、大地を砕く音がして、一本の光条がその掌より放たれる。
「がっ……!」
その光線の勢いに押されてタルジュは背中から城壁に叩きつけられる。受身を取ることができずにその硬い石畳とぶつかって、体中が悲鳴を発する。
「急所は外した、か…」
ブスブスと煙を出すキンドジャールの掌。そこには一瞬前まで瞳のようなものが付随していた。
〈死閃〉。使いきりのレーザー光線発射装置であるそれをキンドジャールはその手に仕込んでいた。
石畳に血溜まりを作りながらもタルジュは立ち上がる。致命傷を免れたとはいえ、腹に風穴を開けた状態では戦闘不能であろう。
だが、出血の為にふらつく身体を気力で立たせ銘刀【マリカ】を構える。
享受者同士の戦いは相手の魂を獄に送るまで終わることは無い。
不用意に戦闘不能から蘇ってしまったことにより二度目の生死の境を彷徨うこととなった経験は記憶に新しかった。
「タルジュ」
「……ああ、もう、なんだ、って、うまくいか、ない」
喉の奥からこみ上げた血の塊を飲み込むことなく垂れ流して言葉を綴る。
「俺は、あんたを殺したくて、自分も、憎くて、だか、ら…」
前のめりにタルジュの身体が倒れる、とジャジャラは思ったが、そのまま前傾姿勢でタルジュは加速した――キンドジャールにではなく、ジャジャラに向かって。
おれはあんたがにくくて、おれじしんもにくくて、だから、こうすることがいちばんよかったんだ。こうすれば、おれもあんたもまりかのところにいける。もういちど、かぞくであつまることができる。
「「!!」」
キンドジャールの反応は素早い。再びタルジュとジャジャラの間に割り込もうとするが、間に合わないことを悟り『極襲の刃』をタルジュに向けて投擲する。
だがキンドジャールの暗士としての技量は獣甲闘士のそれより劣ったものらしい。タルジュの、失血死寸前の状態でも失われることはない流れるような体捌きによってそれは尽くかわされる。しかも、毒を塗っているとはいえ、『極襲の刃』程度の威力では鎧に阻まれてタルジュの防御を貫くに至らない。
はずであった。
「え…」
ガクン、と足に急に負荷がかかる。そのことによりタルジュの背に一本の『極襲の刃』が刺さった。急所を守る厚い鎧が紙のように引き裂かれ、タルジュの心肺を穿つ。
そこを発火点に弾ける黒炎。
ジャジャラまでもう一歩の距離で言うことを聞かなくなった身体に愕然として、タルジュの手から銘刀が落ちる。
――【射竦める眼】(ディフェンドダウン)
――【弱きを見抜く眼】(インペイル)
――【貫き焦がす炎】(インスタント・ファイアウェポン)
見開かれたタルジュの瞳に、キンドジャールの放った『極襲の刃』に乗せて三種の魔術を放った兄の姿が映った。タルジュとの死闘、そしてここまでへの移動のせいで服はボロボロ、両サイドにきちんと分けられた髪型も崩れ、額と眼を隠すように前髪が降りていた。
それは、さる日の「家」で見た兄の姿に重なって。
「……ァあ、生き、て…いた、の…」
ガクリ、と足が身体を支えるのを放棄し、二三歩たたらを踏んで、傾いだ身体はそのまま城壁の外へと投げ出された。
『ジャジャやん物語 5』