エピローグ

結論から言うと、私は死んだ。
彼が用意した六つのコップの中から見事に『頽廃の果実酒』を引き当てて、苦悶の果てに死んだのだ。……実際には生きていたのだが。
今思えば彼が他のコップにはずれをちゃんと用意していたのか定かではない。ただ一つ言えることは、それから私は死体収集業者に引き取られ、社会的に死んだ人間となり、クラウンに発見されるまで仮死状態で生死の境を彷徨っていたということだ。
『頽廃の試練に耐えうるほど君の支柱になっている望みはなんだったの?』
仮死状態から蘇生した私にクラウンは問うた。上手く回転しない思考で、朦朧とした意識の下で私は答えた。
『家族に、会いたい。助けたかった。その為の、力が欲しかった』
道化師のような笑みを浮かべたままクラウンはふうん、と相槌を打つ。その一辺倒な表情からはクラウンの思惑ははかり取ることはできない。
『家族。それが君の大切なもの。命を捧げるに値すると考えるもの。そうかそうか』
なら、とクラウンは続けた。
『私が君に力をあげよう。家族を救う為の力も、敵を淘汰する為の力も、君を妨げるもの全てをなぎ払う純然たる力を君に与えよう。享受者となった君を待ち受けるのは死ぬよりつらい艱難辛苦、この呪われた世界でより強く生き続けるという罰だ。君がそれを乗り越えられるように私は君に力を授けよう。だけどそのかわり、』
仰向けになって、まだ身体に力の入らない私の額に手を添えて、囁くようにクラウンは言った。
『君の一番大切なものの記憶を貰うよ。君の心の中で、燦然と輝く眩いものを私に頂戴。大丈夫。目覚めた時、君はとても晴れやかな気持ちになっているはずだ。君の心を惑わすものを全て排除する力を手に入れて、君が命をかけなければいけない些事を忘れて、全きの心の平穏を手に入れることができる。何も心配することは無い。これは簡単な契約だ』
私にそれを否定する理性は無く、その後すぐに意識は暗闇へと落ちた。その寸前で見た、クラウンの額を割って現れた黄金色の瞳が、奇妙な存在感を持って記憶に残っていた。
――今から三年前の話である。




「つまり、貴方はカリュオン出身者であるだけでなく元袈唇で、その上袈唇の間諜であったハミテ…タルジュの血の繋がらない兄であった、と」
木陰のあるオアシスで、ただ今絶賛黒炎王のハイパー正座タイム開催中。口数の多くなったキンドジャールを前にひたすら恐縮して妙に卑屈な口調で受け答えするジャジャラは、いつもの黒炎王であるように見えた。
「そのとおりでごぜえますお代官様」
「…まったく、ヴァーリ殿の持ちかけてくる案件に真っ当なものがあったためしがない。カリュオンで一暴れしたとなればなんて言われることか…」
ややオーバーアクションに嘆息するその姿からは物語冒頭のとっつきにくさは微塵も感じられない。彼女にとってこれが素の態度なのだろう。
ところでなじょしてこんな青空教室で詰問されているかと言うと、その原因はジャジャラとキンドジャールで1:9くらいの割合でキンドジャールのせいである。
派手に〈哭砲〉と〈死閃〉をぶっ放したせいで、人気の無い戦場だったのも俄かに騒ぎ出したせい。
そしてジャジャラとしてはカリュオンにできるだけ長逗留したくなかったのでキンドジャールを急かしたのだ。
その為二人は戦闘終了後、一目散にカリュオンを後にした。キンドジャールはともかくジャジャラは旅装を宿にそのままにしたままだったので、ひどく不便を感じている。
「しかしそれにしては嬉々として暴れていたような…」
「何か言ったか?」
「イイエ何モ」
余は忘れない。タルジュに『極襲の刃』をかわされた時に見せた、極上の獲物を見つけた獣のような笑顔を。
しかし尋問中ずっ正座していたせいでいい加減足がしびれてきた。黒炎王の正座は10分が限度である。足を崩して胡坐を組みなおさせて貰う。
「んで、こっちからの質問なのじゃが」
「どうぞ」
「結局、余は殺されるんかの?」
その言葉にキンドジャールは沈黙を返した。表情からは何も読み取れず、返答の保留は黒炎王の心に不安を増大させる。
安普請の宿でキンドジャールと『炎話』で交わした会話。
言ってしまえば今回の任務の意図についての答え合わせであった。
ジャジャラがタルジュ相手に語ったような内容をキンドジャールには既に話していた。この任務に真に意味などないこと、ヴァーリが自分達を疑っていること、そしてその疑いが真実だと証明された時、手を下す断罪の下手人がキンドジャールであろうこと。
タルジュとキンドジャールのどちらが下手人であるか確証はなかったが、暗殺といえば暗士!暗士なんて裏切りが本領なんだから、わざわざこんな任務に行かせて見極める必要なんてねーよ、という推論の下、キンドジャールが下手人であろうと推測した。
そしてジャジャラの推測はほぼ正解だった。若干の認識の差異を除いて。
フー、と深く溜息をついてからキンドジャールは口を開いた。
「タルジュから私に救われておいて、まだそんなことを言われるか。そも、私の貴方に対する任務は単なる見極めだけに終わるものだと言ったろう」
「そんなこと言われてものぉ。そう言って油断したところを後ろからザクッと……嘘じゃ、冗談じゃ、イッツアジョーク、本気にするでない」
米神を疼かせて懐に手を伸ばしたキンドジャールにジャジャラはおどけるように言ってみせた。
「で?それなら尚更聞きたいのだが、その見極めとやら、余は合格したのかの」
「ここまで事態を把握してなおここにいるという時点で私からの評価は文句なしだ。さすがはヴァーリ殿が太鼓判を押されるだけはある」
「そりゃちょっと買いかぶりすぎ…特にヴァーリからの太鼓判とか、焼印の間違いじゃね?」
過ぎ去りしヴァーリとの甘酸っぱいお仕置きメモリー。あれ、余、よく生きてるな。なんだか視界がブレてきた気もする。
「それこそ貴方の過小評価だ。現に私からは十分信頼されているように見える。そもそもこの度界螺本部で開かれる緊急会議が発端なのだが、それに貴方を派遣する、とヴァーリ殿が言ったことがこの任務のきっかけなのだよ」
「へぇ……ほ?」
「これはできるだけ口外して欲しくないことなのだがね…今、界螺は変革の時を迎えている。大抗争時代以来溜まりに溜まった旧弊の膿を吐き出し、界螺としての原点に帰ろうとしている。その大事な時に、ふらりと界螺にやってきたような半端者を支部といえども重職に登用して欲しくないというのが我等の見解だ」
だから「見極め」る。このように界螺への忠誠心(言ってて痒くなってきた)を試すような場を設けて。
案外、ヴァーリはハミテが袈唇の間諜であることを知っていたのではないか。それでいてティオースの大災害において活躍した自分に伴わせて、その反応を見た、とか。
……考えすぎ、デスヨネ。
「ああ、勿論この任務のチョイスはヴァーリ殿だ。我等はただ見極めさせて貰いたい、と言っただけだからな」
「さすがヴァーリさん!悪意しか感じられん」
結果論で言うなればジャジャラは昔の古傷をがばっと開かれてさらに塩を塗り込められたようなものである。んでも界螺ティオース支部としては袈唇の間諜を取り除くことができて万々歳。
不公平だ。やってらんねぇ。
ヴァーリの意図したことではないのだが、それでもきっかけを作った原因として恨み言は尽きない。
「さて、そろそろ発つか」
水袋にオアシスの水を補給し、キンドジャールが立ち上がる。
それに習ってジャジャラも立ち上がるが、自分が今カリュオンから離れてどのへんにいるのかわからないことにハタと気付いた。
「のう、余達は今ティオースに向けて進んでいるのかのぅ?」
とにかくカリュオンから離れることが先決!とばかりに一心不乱で飛行していた自分は道に注意を払うことを怠ってしまった。
対してキンドジャールはそれに呆れたような表情を見せた。
「何を言っているのだ。我等はカリュオンを抜けて西へと向かっている途中だ」
「え?まじで!?じゃあ戻らんといけんのか…」
げんなりするジャジャラにキンドジャールはああ、と返して、
「そうか、貴方はティオースに帰るのだったな」
失念していた、と明らかにわかっているようなわざとらしい口調で言った。
「私はこの報告を持ってファーユに帰らねばならん。そうか、ならここでお別れということだな」
「…え?」
ちょちょちょっと待て。
ここで別れる?余、一人でティオースに帰る?
旅装も無い、前衛もいない、その状態でサンドウォームの出るこの砂漠を超えて?
不意に『黒炎王トラウマ百選のトップ10ランクイン』のトラウマが蘇る。
あれはクラウンの不在を付いてカリュオンから逃亡した時のことだ。着の身着のまま取るもの持たずに逃げ出したその先で、待ち構えていたのは大砂漠。サボテンやら襲ってきたモンスターやらで飢え渇きをしのぎ、放浪すること幾日か。とうとう疲労の為に昏倒したところで、サンドウォームの幼体だと思われたのか、野生のルフに餌として捕縛される。飯マダー?とばかりにピーピー泣いてるルフの雛の目を眩ませてなんとか辿りついた先が峡谷都市ティオースだった。
今思い出しても震えが走る。映画化したら全米が泣くこと請け合いだ。
「ちょい、ちょい待ち、それは…」
「ああ、心配するな、貴方の過去については極力触れない程度に報告しておく。かわりと言ってはなんだが、私の戦闘スタイルについて吹聴しないでほしい。こう見えても私は暗士だからな」
夜に忍ぶのが務めだ、と苦笑いしながら言った。
「いや、そのことじゃなくてだな、」
こう物理的な脅威が目の前に迫っていてデスネ、余一人じゃ道中かなり危ないんですが。
そう言葉を続けようとしたところでキンドジャールの翼が飛翔の為に羽ばたく。まるきり本物に見える黒翼――キンドジャールの話によるとファーユには大層腕がよく、大層頭のイカれた獣甲技師がいるらしい。獣甲を獣甲の範囲内に捕らえず広い視野で高みを目指す…多少道を踏み外すこともあるが…その人物は、機能美だけに拘らずこの〈絶飛滅〉のような酔狂な作品を稀に作ることがあるのだとか――それは羽ばたくたびに羽根同士が擦れるささやかな音まで再現されていて、これじゃあわからなくても当然だわなー、と納得する。
じゃなくて。
「ちょ、ま、待てキンドジャーーールッ!!余を一人置いていくでなーい!!」
「では黒炎王、またファーユにて会おうぞ」
ジャジャラの絹を裂く悲鳴をニコヤカに聞き流して、キンドジャールは飛び立った。
オアシスに取り残される黒炎王が一人。
恨めしげに空を見上げるその瞳からは滂沱の涙が流れていた。





あれ、なんか忘れているような気がするのは、気のせい?



























それはまだ生きていた。
腹に風穴、至る所に裂傷、そして落下の衝撃で全身を砕かれていても、まだその鼓動は止まっていなかった。
だがそれも時間の問題だ。このまま失血し続ければ身体機能が停止することは明白であるし、もう既に彼に何か考えるだけの思考能力はない。
夜闇の静寂より静かな呼吸が辛うじて続いている彼の前に、月光を遮るようにして赤い影が現れた。
「ごめんねェ。まさか〈御剣の畑〉の人間が来ているとは思わなくてさ。予定が狂ったよ」
なまじか死体より酷い惨状を前にして、目の前の人間が生きているのを確信しているかのような語り口だった。
「しかもアレ、多分殲滅・掃討専門の奴だよ。超レアだぜ?なんてたって奴を見て生きてる奴なんか殆どいないんだ」
面白いものが見れた、と弾んだ口調で続けるが、聴衆に反応がないので肩をオーバーに上下させる。
「君の協力のおかげで私の仕事も大分楽にすんだよ。あんな馬鹿を袈唇に引き込もうだなんて、お偉いさんの考えていることはわからないね。確かに経営者としては優れてるかもしれないけれど――享受者としては最低だ。首領級邪霊の眷属を崇める像をどのような効果をもたらすかも知らず無駄に乱立させるなんて、袈唇からも、いや袈唇だからこそ願い下げだね」
無知だからこそできることもある――しかし、彼はそれを否定する。
無知は大罪である。知らないから失敗してしまった、知らないからこそ後悔するはめになった、そういった悔悟を彼は嫌悪し、無知に甘んずる輩を憎悪している。
城壁の中、夜のカリュオンの街から一筋燃え立つ煙がある。
それは、丁度、琴削ぎ通りの辺りだった。
「さて、雑談はこのくらいにしておいて」
布面積の大きい服を翻して、彼はしゃがみこんだ。動くことの無いそれと丁度視線が合うようにして、一方的な会話を再開する。 「君の話だ。生憎君の悲願は達成されないまま彼岸に行こうとしている。生涯をかけた復讐が失敗した気分は、どうだい?」
それは答えない。否、答えられない。
生命があるのも不思議な重態であるのだ、舌を動かすことも多大な努力を強いられる状態であるのに、答えろという方が酷である。
反応は無い、しかし赤い影は応答があるかのように話を続けた。
「ああそうだろうね。悔しいだろうね。でも安堵した?奇妙な矛盾だね。君は本当は人を殺せるほど憎悪できる人間じゃないんだよ。君の中の大事なものは君をそんな風に優しく育ててくれたんだね――でも、君は彼女の下に行くことはできないだろうよ」
清涼な声が甘い響きに乗せて猛毒を吐く。歌うように、弾むように綴られた言葉は相手を傷つける千の刃である。
「ジャハンナムは邪霊の為の楽園さ。私達はそこで邪霊の為に生を受け、邪霊を楽しませる為に躍らされ続ける。死後もその魂は獄に捕らえられ、邪霊の慰み物となる、家畜に劣る最低の生き物だ。獄では彼女はどんな趣向で苦しまされているのだろうね?素足で針の山を歩き回るのかな?全身を黒炎で炙られているのかな?それとも…化け物どもに一日中犯され続けているのかな?」
ヒュッとそれの呼吸が強くなる。反応があったことに気をよくした彼は、さらに弁舌の調子をあげた。
「邪霊の中には人間では考え付かないような惨い苦悶を与えるやつもいるという。邪霊にとって人間は苦しめて遊ぶ為の玩具なのさ。そんな邪霊が、君を彼女に会わせてくれると思うのかい?幼子でもそうは思わないだろうね」
ジクリ、ジクリと心の傷跡を切開するように彼の言葉はそれに響き渡った。
「君まで獄へ行ってしまったら、誰がこんな世界から彼女を助け出すと言うんだい?彼女を助けたいと思わないかい?君は、己の悲願を果たさないまま、本当に満足して死ねると言うのかい??」
きっと、それに表情を浮かべる余力があったのなら、彼の言葉によって炙りだされた感情のままに歯を食いしばったことだろう。 しかし生命力の低下はそれすら許さない。
次第に緩慢に鼓動を緩めていく心臓に対して焦燥が募り始める。
「…力が欲しいかい?君が、現状を覆すだけの力が。彼女を助ける為の絶対の力が。何、簡単な契約だよ。私は君の傷を癒し、君に力を授ける。君は君の目的の為に渇望してやまない力を手に入れる。だけどそのかわり、君の一番大切なものの記憶を貰うよ。君の心の中で、燦然と輝く眩いものを私に頂戴」
彼の指がそれの額にかかる。
「大丈夫。目覚めた時、君はとても晴れやかな気持ちになっているはずだ。君の心を惑わすものを全て排除する力を手に入れて、君が命をかけなければいけない些事を忘れて、全きの心の平穏を手に入れることができる。何も心配することは無い。君の悲願は私の目的とも重なる。まずは、一緒に彼に会いに行こうじゃないか――」
彼の額から第三の瞳が産み出され、月光と同じ輝きを放つその虹彩が妖しく明滅する。
月明かりの下、堕落都市の片隅で起こった秘事はそのまま闇に溶け込んで言った。









『ジャジャやん物語 エピローグ』


2010.1.24.
presented by ogi